秋篠寺(奈良)2025-3-25
令和7年3月25日、朝食時に家内との会話から、ふと思い立ったように奈良の秋篠寺に行くことになった。以前にも、ふと思い立って京都の寂光院に行ったことがある。
奈良・京都・兵庫・大阪・滋賀などにある名所旧跡は殆ど我が家から車で2時間以内の範囲にあるので。この様に「ふと思い立って」出かけることも多い。午前11時に出発。
秋篠寺は平城宮跡の北東近くに位置しており我が家から車で1時間30分で到着した。
60年前に訪れた時、田畑に囲まれていた寺の周囲には無計画に家が立ち並び、舗装道路は複雑に曲がりくねっており、何か寂しさを覚えたが、山門と境内は、学生時代に訪ねた時と同じように静寂な雰囲気を保っていた。
京セラ美術館 2022-6-16
コロナで3年間も閉じこもりが続いていましたが、収まるまで待っていたらきりがないので、そろそろ外出もよかろうと思いっていたところ、ちょうど古代ローマ時代のポンペイ展が京セラ美術館で開かれていたので行ってみました。京セラ美術館は京都東山、平安神宮の隣にあります(6月16日)。
およそ2000年前、ベスビオ火山の大噴火によって麓(ふもと)の町ポンペイが瞬時にして火砕流に飲み込まれ、火山灰に埋もれてしまったため、当時の町とその生活がそのまま地中に保存されてきたのです。数々の発掘品の中でも壁画は特に注目に値するものが多く、当時の社会を想像させるものでした。写真撮影自由でしたので何枚か写真をお見せします。
淡路島のイザナギ神宮(伊弉諾神宮)参拝
令和5年(2023)2月21日:天気が良いので、淡路島のイザナギ神宮までドライブしました。
我が家から1時間で淡路島に着きます、そこで明石海峡大橋を眺める展望台で一服してから更に20〜30分で伊弉諾神宮に到着します。
この神宮は日本最古の神社です。
「国生みの神話(古事記)によればイザナギ・イザナミの二神様が(日本の国)をお創りになる時、初めに生んだのが淡路島、次に生んだのが四国、三番目に生んだのが隠岐。そして九州、壱岐、対馬、佐渡と生み、ついに本州を生みました。
この八つの島を大八島(おおやしま)国というようになりました。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「宮」を構へて過ごされたと記されており、至貴の聖地として最古の神社が創始されたのが、この神宮の起源とされています。
伊弉諾神宮参道
伊弉諾神宮の大楠
東京スカイツリー 2022-7-4
7月は東京に用事があり出かけた時、在京の娘に「スカイツリーに連れてってくれ!」
と頼んだら付き合ってくれました。
梅雨戻りで曇り空でしたが眼下に見下ろす東京の街並みは航空写真を見るようなもの、
富士山もかすんで見えていました。
墨田川(右上に見える荒川からの分流)。
昔はのどかな田園を流れる「春のうららの墨田川」であったという。
曇り空だけど富士山がかすんで見えていました。
(写真のど真ん中に見えています)
ガラス床があり、すくみ足になりました。
管理人の動き
昼食は隣接するビルの33階にある寿司屋(魚力鮨)に行きました。どこに行くのにも迷路のようなタワー周辺と建物の内部に「若者の案内なしではとても行かれない」と思いました。
2
1
金庫
奴隷拘束具、足枷
このほか、突然の火砕流に巻き込まれてそのまま絶命して石化した人々など1日では見切れないほどいろいろな展示がありました
平成28年10月10日
昭和天皇の御陵(武蔵野陵)へお参りに行きました。私が最も尊敬する人としての昭和天皇が崩御されてから28年間、一度もお参りしなかったことを常に悔いていました。本日ようやくお参りすることが出来てよかったと思います。激動の時代、この上ない御心痛に耐えられて、常に国民に最大の愛情を注がれた昭和天皇に深く感謝の気持ちをこめてお参りしました。
朝五時、宿の部屋からみた景色、涼しくて気持ちの良い朝でした。
平成23年の正月は、奈良、橿原のホテルに滞在して歴史散歩を試みました。大晦日には江戸時代の街並みが残る今井町を歩きました。1軒一筋の町並みではなく一丁目〜4丁目の町全体が江戸時代の雰囲気であり、かつどの家にも現在尚人々が生活を営んでいます。1月1日は、橿原畝傍の神武天皇陵からスタートして桜井の長谷寺、飛鳥山田寺跡、 飛鳥寺、蘇我入鹿の首塚、甘樫の丘。1月2日は藤原宮跡から大和三山を眺めて藤原京の昔を偲び、奈良平城京跡を観て帰ってきました。
初日の晩はご近所の南敏治様のお宅で夕食をご馳走になりました。そこで屋島の合戦以降、平国盛が一行を率い安徳天皇を奉じて,この地で勢力を立て直そうとしたことなど、言い伝えのお話を伺いました。
平成28年10月27日:天空の城=竹田城の前景が見える立雲峡へ行きました。
天気も良く、丹波篠山を経由して若狭舞鶴道路(高速)を行くと我家から2時間10分の距離でした。
平成29年5月の連休
4月は内科学会で単位取りのため東京へ、ついでに友人を訪ねたり娘と食事したりで、
2泊3日をフルに動き回ってきました。また4月28・29は恒例の身延登詣団に参加しました。
内宮第一鳥居まえの「おはらい街」
ここ数年、正月はいつも雪深い奥琵琶湖のマキノリゾートで過ごしてきましたが、今年は暖冬異変のため、全く雪が無いのでちょっと淋しい気がしました。
それでも、今年は立派な初日の出を見ることが出来て、なにか良い予感がします。
鳥羽海岸
昨年の正月(2015)
祖谷(イヤ)の落合集落全景(1)、一番上の左端にある古民家に宿泊しました。少し拡大すると(2)
望遠レンズを最大にすると(3)です。実際に現場に行くと(4):ここで自炊宿泊です。
ロープウェイのおかげで私もここまで来ることが出来ました。
今年(2016の正月)
平成29年10月8・9日の連休:鳥取の砂丘と神話の里(因幡の白兎)
因幡の白兎: 昔々、島に住む1匹の白兎が、因幡の国へ行きたいと考えていました。しかし、自力では海を渡れません。そこで白兎はワニザメをだまして向こう岸に渡ろうと考え、『ワニザメさん、君たちの仲間と僕たちの仲間とどちらが多いか比べてみようよ』と提案し、
ワニザメを因幡の国まで並べさせ、その上をピョンピョンと数を数えながら渡っていきました。そしてもう少しで因幡の国の海岸に着こうというとき、あまりの嬉しさについ、『君たちはだまされたのさ』と言ってしまいました。
それに怒ったワニザメは、白兎の体中の毛をむしり取り、あっという間に丸裸にしてしまいました。丸裸にされた白兎がその痛みで泣いていると、そこに大国主命の兄神達が通りかかり、白兎が苦しんでいるのを見て、白兎に『海水で体を洗い、風に当たってよく乾かし、高い山の頂上で寝ていれば治る』と言って立ち去りました。
白兎が言われたとおりにしてみると、海水が乾くにつれて体の皮が風に吹き裂かれてしまい、ますますひどくなってしまいました。そこへ大国主命(おおくにぬしのみこと)が兄達の荷物を背負って通りかかりました。 白兎に理由を尋ねたあと、『きれいな真水で体を洗い、蒲の穂をつけなさい』と言いました。白兎がその通りにすると、やがて毛が元通りになりました。
御廟
御廟塔前の礼拝所
湖東の名山:伊吹山、浅井長政の小谷城跡も近い
伊吹山8合目付近の展望台から琵琶湖を望む。
御廟塔
関が原古戦場跡:ここは小西行長の陣。この辺で決戦の火蓋が切られたそうです。
いろいろな武将の陣が点在しており、まさに「夏草やつわものどもが夢のあと」・・・・ですね。
冬が近づくと、また今井病院の
3名が祝宴を開いてお祝いしてくれました。
暖かーい手袋とマフラーが寒い冬に向かって
さー来い!と言っているようです。
2007-7-31: (穂高連峰と飛騨高山)
飛騨高山市内から、1時間くらいで新穂高ロープウェー上り口に到着します。
そこから眺めただけでも中部山岳地帯の美しさに圧倒されました。からっとしたさわやかな空気の美味しさに生き返ったような心地です。
高島市の針江部落にはこの様な流れが
いたるところに見られます。透明で冷たい!!
同じく針江地区の有機農法の稲田。田の中に雑草も多い。
この砂丘は、55年前、学生時代に訪ねた時とあまり変わっていませんでした。
管理人の行動:平成28年4月28日・29日、身延参りに行きました。
平成28年4月:身延山に登詣しました。先ず最初に西の谷に在る日蓮上人の御廟塔に向かいました。この大祖廟の御前で同志30数名とともに立正会慶讃法要を行い、法話を拝聴しました。 翌日は山頂(標高1153m)の「奥の院」に詣でましたが、今回私はロープウェイ組に入らせてもらいました。登山組は2時間半の道のりを、三徳偈を唱えながら登ります。新緑がまぶしい山々のなかで本当にすがすがしい時間をすごすことが出来ました。この日は幸い昼前から快晴になり、近くに富士山の雄姿を見ることも出来ました。
外宮正殿
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2016-1-1、 07:05
山頂に到着したら、正月のそらは良く晴れてきました。
あの一番高いところへ行って見ます。
一番高い天守閣のあったところから南の方を見るとこのようになっています。
北のほうはこのように見えます。
竹生島を去る船から・・・・琵琶湖はやっぱりでかい!
平成29年11月26日、2期生の本間裕朗兄から舟遊びに招かれました。
本間兄の他に2名の航海士とともに西宮マリンから出航して神戸の町を海から眺め、六甲アイランド>ポートアイランド>神戸空港を間近に見ながら淡路島へ行くコースでした。フランス製のレジャーボートで名前はミル・フロール〔千の華〕、船内にはキッチン・シャワー・寝室・トイレ・暖房冷房・テレビなどの他、釣具・GPSナビ・魚群探知機・それに多種多様の酒類、コーヒー・お茶、食べ物、何でも揃っている豪華船でした。ミル・フロールとは本間兄の娘さんの名前をフランス語表現だそうです。
屋島の合戦で破れた平家一門が、平国盛に率いられ安徳天皇をお守りしながらこの地で再起しようとした努力の伝え話が沢山残っています。平家物語によれば平家が屋島の合戦で破れた後も船で瀬戸内海を西へ進み、壇ノ浦の合戦で破れ、当時八歳の安徳天皇は、清盛の妻で出家した二位の尼(安徳天皇の祖母)に抱かれて入水、と記されています。しかし、当地での言い伝えに拠れば、屋島の合戦後、平国盛は源氏の眼を欺き、ひそかに御座船から安徳天皇を移して陸に上がり、祖谷に入ったということです。安徳天皇はこの地で10年を過ごされ17歳のとき病のためこの地で崩御されたと伝えられています。
甘樫の丘からみた畝傍山と耳成山(左写真の左端と右端)、耳成山と香久山(右写真の中央と右寄り)
藤原京、大極殿跡から望む天の香久山。
春過ぎて夏来るらし白妙の
衣ほしたり天の香久山。
持統天皇(万葉集)
今は真冬なので、この和歌の雰囲気はありませんが、情景は浮かんできます。
出航前、ミル・フロール号の甲板で3人の航海士と記念撮影
西宮マリンを出航! 離岸は本間航海士が担当
海から見る神戸の街の一角
1時間も走ると淡路島・明石大橋が見えてくる。
淡路島、翼港に停泊したミル・フロール号↑
マキノリゾート:
湖岸に2階建てのコッテージ風ホテル
琵琶湖周囲の芦原、北西岸に多く見られる
続いて、琉球大学医学部の卒業生50名が祝ってくれました、江戸切子>びんがた>お花
詳細は「本日の再会を見て下さい。
この上↑と下↓の写真は3日前の11月23日に我家で淡路島へドライブした時の明石大橋です。今日(26日)は天気が悪く写真が美しくないので2枚借用しました。
「木のつた」で作ったかずら橋。渡し木の幅が広くて渡るのがとても怖かった。源氏の追っ手が来たら、橋を切り落とすそうです。下を流れる祖谷川(イヤガワ)の清流がとてもきれいでした。聞こえるのは川のせせらぎと蝉の声だけです。
藤原京: 我が国で初の巨大建築物を備えた本格的帝都。694年持統天皇から文武天皇を経て、元明天皇の710年(和銅3年)平城京遷都まで3代15年間の都城。唐(中国の都)にならって,それまで見られない大きな都が造られた。
飛鳥寺:日本最古の本格的寺院(596年)・・・四天王寺と同じ頃
山田寺:650年ころの建築、五重塔を伴った本格的寺院(法隆寺は607年)
蘇我入鹿の首塚:大化の改新で殺害された蘇我入鹿の首が落ちた所に塚が建てられた。
甘樫の丘:飛鳥寺の北に位置する小高い丘で、飛鳥地方樫原・桜井方面を一望できる。飛鳥地方から出発する防人の一行を親族がこの丘に登って見送ったと言われる。
大和三山:奈良平野の南にある3つの小山、畝傍山、耳成山、香久山。一番高い畝傍山でも標高199メートル。
平成28年(2016)4月25日: 遂に76歳になった。 数え年で言うと77の喜寿になります。
最初に職場(今井病院)のスタッフ19名がお祝いしてくれました。照れくさいけれどもとても嬉しく思います。
美しい花、輝くグラス、とても癒されます。江戸切子のグラスは晩酌友として長くつきあいたいと思います。
管理人の夏休み
9月になってようやく5日間の夏休みが取れたので湖北の琵琶湖添いにあるマキノリゾートに2泊3日で滞在して奥琵琶湖・湖北の一帯から湖東の伊吹山や関が原を散策しました。我家から高速を使うと湖北のマキノリゾートまで約2時間で到着します。
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眼下に見える富士川の流れ
登山組到着
石化した
食べ物
パン
いちじく
ぶどう
穀物
最初に、駐車場周囲の新緑がとても綺麗でした。
湖畔の山すそこんな立派な屋敷をでみましたが、前の田んぼは既に放置され雑草と蓮華の花が入り乱れていました。
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淡路島から見た明石海峡大橋
下からみたタワー(高さ634メートル)
第一展望台350m、第二展望台450m
祖谷(イヤ)の落合集落全景(1)、一番上の左端にある古民家に宿泊しました。少し拡大すると(2)
望遠レンズを最大にすると(3)です。実際に現場に行くと(4):ここで自炊宿泊です。
内宮第一鳥居、宇治橋
1、美術館の外観、
2、京セラ美術館は平安神宮の隣
過去15年の記録写真が下にあります。
3回目の淡路島クルージング
令和2年9月5日、2期生の本間裕朗兄がまた淡路島クルージングに誘ってくれました。
船を大型に新調した記念クルージングという名目です。
台風9号と10号の合間を縫って丁度その日だけ天気は快晴で波は穏やかでした。
今年(平成27年=2015)の夏休みは、徳島県の山奥にある祖谷、落合集落に行き、古民家で自炊しました。
5月の連休
今年の連休は畑を耕して畝を作り、とうもろこし、なす、きゅうり、トマト、オクラ、の植え付けを行う他は特に予定も立てずに家でのんびりしていようかと思っていました。
しかしこの作業で一番大変な畝つくりを地主さん(兼農業師匠)が手伝ってくれたのですぐに一段落してしまいました。5月5日は朝から天気が良く、やはりどこかへ行こうと考えました。連休で行楽地へ向かう道路は渋滞しているだろうと思いながら地図を眺めていたらふと兵庫県の中央部に
「黒川渓谷」・「黒川ダム」・・・という文字が目に入りました。場所は兵庫県朝来市生野町黒川、地図では本当に山奥で今までその名も聞いたことがありません。
ここなら人も少ないだろうし、田舎の一般道路なので混雑も無いと予想して午前10時頃、家内と2人で家を出ました。距離にして我家から100〜120kmです。予想どうり道路もすいており2時間半で現地に到着しました。黒川渓谷もダム湖も予想以上に静かで美しく、心が癒されました。
(兵庫県地図、黒川ダム・黒川渓谷の位置:赤○、我家の位置赤△)
砂の美術館も良かった!!
平成29年(2017)7月31日〜8月2日:お伊勢参り
今年の夏休みは「お伊勢参り」で鳥羽國際観光ホテルに宿泊。伊勢神宮に関する「解説案内人」を頼んでおいたので、とてもよかったと思います。自分も伊勢神宮の氏子なんだなー、と思えるような気分になりました。
平成28年の正月
砂丘まで我家から丁度3時間でした
20分くらい上ったところから、少しズームアップして写した
写真です。
歩き初めて間もなく、遠くの山の頂上に城郭らしきものが
見えてきました。
白兎神社
「因幡の白兎」伝説発祥の浜
琵琶湖北岸から2〜3キロ入り込むと、延々と続くメタセコイア並木がありました。その両側が田畑と果樹園でとても調和がとれていました。なにかヨーロッパの田舎みたいです。
拠点とした高山市も旧い由緒ある町並みで目を楽しませてくれます。
郊外にある飛騨の里では昔の農家を見ることも出来ます
身延山から望む富士
身延山から望む富士、拡大
管理人の正月(2013)
今年(平成25年)の正月は丹波篠山の温泉に宿泊して、以前から一度行ってみたいと思っていた天空の城跡(竹田城址)を訪ねてみました。
竹田城址は兵庫県の真ん中に位置する朝来市和田山にあり、この城跡は日本のマチュピチュといわれるように、山頂に広大な石垣を築きあげて城が建てられていたのです。麓の駐車場に車を止めて2kmほどの山道を歩いて山頂に到着します。急峻な山の頂上に造られた石垣は流石にびっくりするほど見事なものでした。写真では全景がつかめずにその威容を示すことは出来ませんが何枚かお見せします。
壁画 2点、 壁画はこのほかにも多数展示されていました
立雲峡から天空の城(竹田城)を望む
千丈寺湖は横に細長ーい形状なので、一周すると色々な情景を見ることができます。連休中でも人が少なくて静かでした。こんどはおにぎり弁当をもって来ようと思います。
船室でくつろぐ
淡路島、夢舞台港で