本日の再会
1期生:本馬恭子 姉
もう何年ぶりだろうか、おそらく30年ぶりくらいの再会と思います。私にとっても最初の大学院生であり再会を本当にうれしく思います。現在は関西空港検疫所の所長を務めていますが、旧姓神山恭子(カミヤマヤスコ)で知られた姉御の華々しい経歴は紹介に値するものと思います。
昭和56年(1981)、琉球大学医学部医学科の第1期生としてトップで入学(出身は具志川市、出身高校は昭和薬科大学付属高校)、昭和62年(1987)首席で卒業、彼女が何処の医局に入るか注目されていました。一旦は第一内科に入局しましたが、翌年開設した琉球大学大学院医学研究科に進学、選んだのは細菌学教室でした。
順調に研究成果を上げ、学位審査が開始されると1番に論文を提出して合格、平成3年(1991)琉球大学博士第1号を取得ました。琉球大学大学院医学研究科1期生は20名以上であったと記憶していますが、論文提出出来たのは14名でした。
皆さんの学位は何号でしょうか、18期生のモモちゃんは513号と言いますから30期生にもなると1000を超えているかもしれませんね。時の流れは早いと実感します。琉球大学が授与した最初の博士号なので、琉球新報の取材を受けました(写真)。その後、琉大医学科卒では最初の助教授(藤田保健衛生大学医学部細菌学)に就任、ワシントンDCのNIHへ留学し、帰国後は和歌山県立医大の助教授に着任しました。しかしその後何を考えたのか厚生省検疫局に就職して東京検疫所長を経て現在は関西空港検疫所長を務めています。
医学科1期生は女子学生僅か7名でしたが、沖縄国立病院の院長(大湾勤子先生)など皆さん立派になっています。
我が家から、定番の「小判寿司」へ。
近辺の観光は出来ませんでしたが、
積もる話を心ゆくまで話し合いました。
令和7年3月4日: 長崎で12期生の長谷川麻衣子姉と18期生の山内桃子姉に再会しました。
12期生の長谷川麻衣子姉は熱医研8代目部長で、ラオスプロジェクトの推進に注力しました。現在は長崎県衛生部感染症対策課(課長)として頑張っています。
18期生 山内桃子は衰退していた熱医研を復活させた花の18期生で特技はアラビア語(東京外語大学アラビア語学科卒業)で、熱医研では数々の明言を残してきました。現在長崎大学熱帯医学研究所内科助教で頑張っています。
情報交換・身の上話・バカ話・・・・本当に話は尽きることなく、楽しいひと時でした。
しらかわ内科:新垣民樹先生
アワセ第一医院:冨里政秀先生
上:27期生の小坂篤志兄
都立墨東病院感染症科
2019年6月1日 知念克也兄(2期生)ほか
いやいやなんともお久しぶりで!!
熱医研創設から今日至るまで35年間の
積る話に花が咲き時の過ぎるのも
忘れていました。中でも克也兄の人生訓とも言える、GNO(義理ー人情ー恩返し)は全く同感でした
・虚空庵から始まり、
・大野山頂上(海抜753米)、
・田舎喫茶から
・我が家へと移動、
18期生の羽賀亜矢子・21期生の山内桃子
両姉も同行してきました。。
令和元年初日の5月1日、15期生の「きせん」(豊川貴生)兄が虚空庵に訪ねてきてくれました。10連休中に家族で帰省しているとのことで、車で来訪。高速出口周辺の道路は新しいためナビの案内が不全で、少々道に迷ったようですが、無事に山里の庵に到着しました。きせん兄は県立南部医療センターから保健医療行政に、紀子夫人は県立看護大学から琉大医学部保健学科に移籍して活躍中。お嬢様は4歳で挨拶も上手に出来て、元気いっぱいですが聞き分けの良い素敵なお子さんです。沖縄のことをいろいろ話してもらい懐かしくもあり、また時の流れを感じさせられました。
平成30年(2018)本日の再会
平成30年5月30日: 虚空庵への来訪者(熱医研初) 3期生の新里敬・6期生の宮城啓、両兄
平成30年7月4日、宋天燕姉と夫のTommy 兄
宋天燕姉は大連医学院卒業後、日本に留学して琉大医学部細菌学教室で博士号の学位を取得しました。日本に来る前から日本語弁論大会で優勝するなど、日本語は日本人よりも上手に読み書き話し聞く、ことができました。人間的にも学問的にも極めて優秀な人材でした。学位取得後は、以前から細菌学教室と交流のあったスウェーデン・ウメオ大学に研究スタッフとして赴き、その後スウェーデンの人と結婚しました。現在はウメオ大学の関連病院で感染対策室に勤務、夫のTommy氏は同じ大学の環境経済学の教官です。宋さんとは13年ぶりに会うことが出来てとても楽しい時間を過ごすことが出来ました。また夫のTommy氏からは環境経済学とは如何なるものか、現在どのような仕事をしているのかなど興味ある話を沢山聞くことが出来ました。二人はこれから沖縄に行き、細菌学教室の皆さんに会う予定です。
琉大医学部OB、いつもの仲間たち(今年は1期生から6期生までの8名)が誘ってくれました。今年は京都に集合して鴨川の岸沿いに川床という「やぐら」を突き出した料亭「鳥弥三」で飲みながら自分達の近況や世の中の情報を交換し合って楽しく過ごしました。その晩は京都で1泊し、翌16日は2期生本間裕朗兄の所有するレジャーボートで神戸の街を海から眺めつつ淡路島・明石大橋方面までクルージングしましたが、皆さん船上でも飲みまくって二人は完全に酩酊状態?? 3日間の連休に日ごろの忙しさを忘れて息抜きをしているようでした。皆、学生時代はボードセイリングに打ち込んでいたので、海の匂いにも酔いしれていたようです。少し淋しい「退職後の私」にとっても本当に楽しい2日間でした。
9月15日の夕食会、京都加茂川の畔
H30(2018)-9-15
写真下左:海から見た神戸の街、 下右:飲みすぎの2人、 上:帰港時(新西宮マリーン)で無事帰還を祝う?!
平成29年(2017)本日の再会
9月17日
4期生栗原寿夫兄が横浜でクリニック(名称「ことぶきクリニック」です)を開院することになり、その内覧会と懇親会に招かれて横浜に行きそこで沢山の人に再会することが出来ました。
○4期生の栗原寿夫兄は琉大医学部卒業後、東京女子医大心臓外科で腕を磨き、京都桂病院心臓外科部長を経て後、方針を変えて総合診療の道を独学研修すること9年、遂に50歳を過ぎた今、地域医療の先端を担うクリニックを開く決断をしました。開業は40才前後でという一般的な常識は、あくまでも「経済的に見て」ということであり、栗原寿夫兄のような志においてはその気になった時が最適です。
○1期生古閑比佐志:東京江戸川区の岩井整形外科内科病院副院長・教育研修部長、中国での医療に3年間従事して元の職場に復帰しています。脳神経外科>ヒトゲノム研究>整形外科(特に脊柱の内視鏡手術)、どれも半端でなくこなしてきた天才的能力あり。現在は国際医療活動にも眼を向けている。
○4期生佐藤 聡:上尾中央総合病院〔診療部・部長、泌尿器科・科長〕
この病院はベッド数700、泌尿器科医が8名居るそうです。泌尿器科の年間手術例数は約1000件ということ。ダビンチもフル稼働
○6期生本間次郎、品川区の五反田で泌尿器科を開業して既に16年地元で親しまれ幸せな日々を過ごしているようです。
○4期生上原昌義:沖縄医療生活協同組合理事長、とよみ生協病院整形外科、とても貫禄が着いていましたが、決して怒る事のない穏やかでひょうきんな性格と面の良さは学生時代と同じでした。
○5期生大塚康久:品川区の五反田でペインクリニックを営んで長くなります。先週は沖縄でウィンドの学生と懇親会を持ったそうです。
○4期生沖山光則:こくら台ハートクリニック副院長、つい先日まで沖縄協同病院心臓外科。
○6期生黒木則光:徳洲会湘南厚木病院、院長。極めて多忙の中で今回の祝賀会に関する連絡予約などなど全て取り仕切ってくれた。私自身は新横浜までの出迎えから昼食の世話・ホテルの世話・道案内など細やかな行き届いた気遣いに感謝感激でした。
以上8名の他に、1期生の古閑比佐志とともに、かつてロスアンゼルスオリンピックの教化選手であった宮城久一氏、琉大農学部を卒業後航空学校に行きその後JALのパイロット
11月3日(H29) 琉大OBで最初の「虚空庵訪問者」、2期生の本間裕朗兄
3月22日:16期生・中島純一兄と18期生・羽賀亜矢子姉
このたび麻酔科の専門医・指導医である羽賀亜矢子姉が心機一転、琉球大学医学部細菌学教室で大学院の研究生活に入るため、4月から沖縄へ行くことになりました。その前に、ということで、わざわざ千葉から会いに来てくれました。せっかく来てくれるので、西宮市に在住の16期生中島純一兄に声をかけて来てもらいました。中島兄は小児科の専門医ですが、こちらも心機一転、刑務所の医務官として大阪刑務所に勤務するようになっています。いつまで刑務所勤務をするのかと聞いたら・・「無期懲役のつもりです」ということでした。
6月22日:12期生の長谷川麻衣子姉
6月23日:21期生の加藤隼悟兄
長崎大学熱帯医学研究所同門会から呼ばれて長崎に行く機会があり、そこで12期生の長谷川麻衣子姉と21期生の加藤隼悟兄に再会しました。
長谷川麻衣子姉は琉大第二内科の後、長崎大学(熱帯医学研究所)大学院でMDとしては極めて稀な医昆虫学(medical entomology)で学位を取り、熱帯地を駆け回りながら2児の母としても頑張ってきました。現在は長崎県庁の福祉保健部医療政策課の医療監として、五島保健所長も兼務しています。4期生中島一敏教授の話によれば、長谷川麻衣子姉は医療保健行政の分野では全国的に名の知れた存在であるとのことです。
加藤隼悟兄は国立長崎医療センターの後、長崎大学熱帯医学研究所内科(正確な呼称は、臨床感染症学分野)に所属、これまでにイギリス留学などを経て現在は大学院博士課程の最終年度に在籍中、学位論文の仕上げにラストスパートをかけながらも将来のことをいろいろ考え、また悩みもあるように見えました。加藤隼悟あには熱医研とボードセイリング2つの部に所属していましたので、最近ウィンドのメーリスに載った部長交代と顧問交代の話になりました。新旧部長・新旧顧問の挨拶文を隼悟と2人でじっくりと読み、それぞれ感慨深いものを感じました。
横から見ると・・・ 後ろから見ると・・・
平成29年(2017)8月3日:
町田久枝姉(0期生)、町田孝兄〔2期生〕
町田孝兄は長い間、北谷町で町田小児科医院を開業していましたが3~4年前から
卒業生である久枝さんは変わることなくいつものように満面の笑みで、対照的でした。
平成28年6月18日
本日の再会はなんと48名です、私の喜寿を祝ってくれました!
学生時代に「琉球大学熱帯医学研究会」に所属していた先生方が、私の喜寿を祝ってくれました。会場には
2期生から29期生まで45名の懐かしい卒業生たちが、輝くように立派な姿で集まっているのに先ず感動!
祝賀会では、至れり尽くせりの心遣いの中で夢のような時間をすごすことが出来ました。嬉し涙を隠しつつ、私は子供のようにはしゃいだ気がします。この日だけは「私が決して参加しない二次会」にも付いて行き、
そこでも日が変わるまで楽しみました。二次会では更に3名の卒業生が加わって、本日の再会はなんと48名になりました。心地よい疲労感を持って眠ると、翌朝は 爽やかに目覚め、疲労感は全く残っていません。
後期高齢者の域に達して、私だけこんなに幸せでよいのだろうか、と自問自答。
皆さん有難う!!!感謝感激のほか言葉も有りません。
このお花も、沖縄から兵庫の自宅まで無事到着しました。
27期卒:與那嶺怜奈
29期卒:北爪はるな
舞: かぎゃでふ
平成26年(2014)3月20日(木):臨床検査部の戸田隆義先生の定年退職送別会。戸田先生の満面の笑みが印象的ですね。
ここで細菌学教室ゆかりの多くの人々と再会することが出来ました。
2014-5-3 本日の再会は熱医研関東OBOG会です。
東京丸の内、東京駅前広場を見渡せる和食レストランに集合です。
再会した人たちの名前は:中島一敏(4)、砂川富正(5)、宮田乃有(保25)、白山裕士(13)、中島弓子(17)、羽賀亜矢子(18)、神谷百合香(18)、林優(20)、亀山大介(20)、甲斐田豊二(21)、中澤明里(21)、星野香(22)、亀山麻子(22)、加藤暁世(23)、甲斐田武志(23)、小林佑介(24)、小坂拓也(31)・・の18名です。午後6時から11時頃まで同じ店に居ました。
近況報告を聞いて、詳しくは覚きれませんが、今覚えていることだけを書きだしてみると、中島一敏はこの4月に国立感染症研究所から東北大学に移動(東北大学大学院内科病態学講座 感染制御・検査診断学分野講師)、砂川富正は国立感染症研究所、感染症疫学センター第二室長、宮田乃有は地域で有名なベテランの訪問看護師、白山裕士は第二北総病院内科、中島弓子は八丁堀皮膚科・形成外科クリニック院長、羽賀亜矢子は横浜けいゆう病院麻酔科、神谷百合香は旦那様の神谷将吾と二人で、ちゅらゆりクリニック(皮膚科と内科)を開業、林優は東海大学産婦人科(ごく最近3人目のお子様が誕生、今度は女の子でした。12番目の熱医研カップルで奥様は嘗ての吉武伊緒姉)、亀山大介は救急医療から転じて現在は厚生労働省大臣官房国際課の課長補佐、甲斐田豊二は北里大学循環器内科大学院、中澤明里は東京大学産婦人科大学院、星野香は亀田総合病院ウロギネ科、亀山麻子はドクターヘリ救急医、 加藤暁世は成田日赤小児科、甲斐田武志は北里大学外科、小林佑介は自治医大心臓外科、小坂拓也は現役4年生で熱医研30周年記念行事担当で、現在奮闘中。いやいや皆さん本当に立派になっていました。
平成26年(2014)の再会 一部抜粋
中島純一兄とは:平成14年(2002)卒、県立中部病院で研修後、小児科へ進みNICUを専門として関西医大で博士号の学位を取得、その後内科も勉強するため2期生の町田孝兄に相談して、4期生田名毅兄の首里城下町クリニックでしばらく内科研修を重ねました。その後紆余曲折後、2015年頃から法務省医務官として〇〇〇に勤務しています。週2日の研究日があるので、町のクリニックで小児科も継続しています。更にびっくりしたのは多方面にわたって猛烈に勉強していることでした。その成果は次に示す数々の資格を取得していることによって分かりますが更に行政書士、気象予報士にも挑戦すると言っていました。
中島純一兄が取得した各種の資格:
[国家資格]は、医師、保育士、総合旅行業務取扱管理者、国内旅行業務取扱管理者、宅地建物取引士、賃貸不動産経営管理士、管理業務主任者、危険物取扱者(甲種)、国内通訳案内士(英語)、一級小型船舶操縦士
[検定試験]は、英検1級、漢検準1級、HSK(中国語検定)4級
等々です。
尚、現在長男が医学部受験準備中とのこと。
令和4年(2022-11-12) 19期生 角田秀和兄=深谷赤十字病院放射線治療科
長い間コロナのために訪問客も途絶えていたところに突然19期生の角田兄から連絡があり、広島で学会があり帰りに立ち寄ってくれるということでした。数時間の滞在なので物見遊山はせず、我が家で昼食を取りながら積もる話に花を咲かせたのですが、話は角田兄の雰囲気(写真向かって左にみられるような雰囲気の人)とは違う方向に・・・
令和元年(2019)の年末から令和4年始めまでは、コロナ禍で交流は殆どありませんでした!
開院祝賀会参加者: 聘珍樓 横濱本店(横浜中華街)
本日の再会
中島純一 兄(2024-12-3)
16期生の中島純一兄が或る女史と面会するため仲介役の私が指定した喫茶店で会うことになりました。面会の動機は峠の茶屋に載った記事に有ります。
その記事は峠の茶屋411号、412号に掲載の「中島純一発、両親宛ての手紙」とその返事「父親から中島純一宛ての手紙」です。他人から見れば、面白いと言う表現は父上様に対して大変失礼かと思いますが、この2通の手紙は、「なんと面白い、何と意味深い」内容です。そのため私の退職記念誌「孤軍奮闘p30~p32」に引用させてもらったのです。
「孤軍奮闘」を読んだ某女史がこの記事に注目して、「この学生が今どうしているか是非知りたい」と言うので、中島純一兄に問い合わせると「自分の書いたものに興味を示す人には自分も会ってみたい」とのこと、そこで私が仲介役として動き、遂に面会の日(2024-12-3)が来ました。
面会での会話はスムースに進み双方満足できた様子でした。私も話の仲間に入れてもらい、昼食を取りながら楽しく過ごさせてもらいました。
平成3年3月22日 学位授与式の後、
細菌学教室で。
これが、第1号学位記です。
第3者に撮影を依頼
以下、前回の再会投稿まで、少しスペースあり、下の方へスクロールしてください。
栗原 古閑 黒木 西田
太平
本間 慶田 岩永 アマンダ
俎板岩に立つ聖像 (伊豆伊東川奈)
11月7~11日の4泊5日で沖縄を訪問して本当にたくさんの人々に再会しました。大半は琉球大学医学部に奉職中の教え子たちですが、そのほか当時大変お世話になった先生方にも会うことができました。あまりに多くの写真を撮ったので、ランダムに載せまくります。自分の年齢も忘れて皆さんと熱く語り合ったので、帰宅後しばらく放心状態でした。
令和元年(2019)12月21日
熱医研初代部長2期生の山城哲兄夫妻です。
11月に山城哲兄が主催した日本熱帯医学会大会で
会ったばかりですが、今回鳥取大学での特別講義を
行った後の土日を利用して立ち寄ってくれました。
5年後に控えた琉大医学部移転の準備室長として
多忙の毎日ですが、細菌学教室伝統のコレラ研究に
励む様子を聞くことが出来ました。
令和5年6月15日(2023) 2期生:外間実裕ご夫妻
今日は2期生の外間実裕兄(沖縄赤十字病院泌尿器科部長)が
奥様と一緒に訪ねてきてくれました。かつて紅顔の美少年
であった実裕兄も還暦を迎えたとのことですが、未だに昔の
雰囲気を湛えた若々しさに圧倒されました。
我が家で一服して、近況などいろいろ積る話をしましたが
話題は尽きることなく、場所を定番の小判寿司に移して
楽しく過ごしました。写真の手振れが残念!
ボードセイリング部の現役・OBの懇親会は60名を超ええた参加者がいたのですが、集合写真はちょっとボケてしまいました。
人数だけは感じてください。現役部員は若々しく爽やかで、OBOGは皆立派になっていました。
11月(7日~11日)
船守弥三郎宅跡に建立された蓮慶寺にて読経唱題
内覧会
10月2日開院予定の「ことぶきクリニック」受付前で
古閑>沖山>岩永>栗原>栗原夫人>黒木
作、城間榮順: びんがた
平成27年、本日の再会
(平成27年3月13日)是枝快房兄(1期)、是枝快泉兄(8期)、小柴民子姉(10期)
3月12日、同級生の見舞いに鹿児島へ行くので、是枝快泉兄に連絡を取ったところ、13日の晩に3人が
会いに来てくれました。
虚空庵の入り口にて
露払い 露払い
梨絵姉の自撮り
ワシの自撮り
その晩はボードセイリング部のOB、2期生から33期生まで12名との再会でした。
本日の再会、園田梨絵姉
令和7年4月24日、博多で第24代熱医研部長(24期生)の園田梨絵姉に再会出来ました
15年ぶりの再会に、積る話は尽きず、時間が迫ってから慌ててツーショットを繰り返しました。
私の自撮りが下手なので、梨絵姉のスマホで撮ったけどまだ物足りずに人に頼んでカメラでショット。
比べてみると梨絵ちゃんの自撮りが一番よく映っていました。訪問診療を中心に仕事をしながら、
将来の抱負を語る梨絵姉が輝いて見えました。
予期していなかった涙のおもてなし。!!
歩くのも頼りなくなってきた老体を遠方から送り迎えしてくれるだけでも感無量であるのに、
宴もそろそろおひらきかと思った時、部屋の電気がパッと消え、一瞬停電かと思った次の瞬間、ろうそくの灯とともにケーキが運び込まれ、一斉にハッピーバースデイ・・・の歌。 翌4月25日が私の誕生日、内心では遂に85才か・・こりゃ大変なこっちゃと思いつつも、決して忘れてはいなかった。それを1日前倒しで今日、祝ってくれた皆さんのお気遣いに涙しました。
令和6年8月4日
1期生:古閑比佐志、4期生:栗原寿夫
まずは、酷暑の中、また2人とも多忙極まる中、日帰りの強行スケジュールで来てくれた事に感謝感激です。目的は虚空庵でのご修行!
不動の真理であるお釈迦様の教えについて語り合えたことに深甚の喜びを感じました。
令和6年(2024)2月24日
伊豆、熱海温泉で1期生・2期生・4期生・5期生・6期生
の皆さんに再会、皆元気で社会的に極めて重要な立場にあります。
この日は朝から晩まで、皆さんからの細やかな心遣いと超一流の
もてなしを受けて歓喜の感涙抑えがたく、深甚感謝の気持ちで
過ごしました。昼間は、私の希望に沿って日蓮聖人伊豆法難の地
を訪れ蓮慶寺・岩屋祖師堂にて心行くまで読経と唱題三昧。
平成28年(2016) 3月5日:垣花シゲ先生退官記念パーテイー、
2期:本間、5期:大塚、6期:慶田・黒木・本間次郎、9期:山内秀樹、10期:山内和幸、
12期:小野英樹・中村せつ(保)、15期:丸野、33期:安藤、その他:太平
14期生:金城武士兄の実家で
ご両親と
琉球新報の記事
令和6年11月16日:加藤隼悟兄(21期生)
福岡県久留米市から来訪
新旧 細菌学教室のみなさん
内覧会に来られず、祝賀会に参加した4名と、
慶田 本間次郎
佐藤 岩永 上原