2017年(H29) 今日の一言

113日:教育勅語、  下の文(7月:教育基本法、斯くあるべし)中にある「私」とは明治天皇であり、文章は教育勅語を平易な用語にしたものである。国民みながこのように立派な心構えをもって学び、教育者もまた同じ心構えで教えれば、今日の世の中で、ゆがんだ精神構造を持つ者もずいぶん少なくなっていただろう。

 

7月: 教育基本法、斯くあるべし

 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をはじめられたものと信じます。そして国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果を挙げてきましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物と言わねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

 国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあいそして、自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や秩序を守ることは勿論のこと、非常事態発生の場合は、真心をささげて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、いっそう明らかにすることでもあります。

 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国において行っても間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆とともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

 

3月:一言述べるまでも無いが、 何故学校でこれを教えてこなかったのか
 <北方領土の歴史、図解>


2013年(H25) 今日の一言

7月:自公連立の解消は近い?
 政策が違う人間が集まって政治集団を作るのは選挙目当ての票稼ぎであり、また政策とは関係の無い利権の山分けが目的である。そのような集団がまともな政策を作り実行することなど出来るはずがない。民主党が良い例であり、極左から極右までの政治家が政権ほしさにまとまって選挙に臨み、自民党の堕落に付け込んで政権を取ったが、結果は日本にとってあまりにも悲しい結果をもたらしただけであった。
 自公連立も似たようなものであり、しばらく政権を維持して野に下り、再び政権を取ったのだが、政治・政策の原点である憲法問題について全く逆の考えを持っている。即ち自民党が「現在の憲法は悪い憲法であるから改正しよう」と考えているのに対して公明党は「現在の憲法は良い憲法であるから帰る必要は無い」と考えている。この違いをごまかすために「加憲」などという変な考えを持ち出して与党にしがみついているように見える。政治・政策の原点に対する考え方が180度異なる2つの政党が1つの内閣を作っても、まともな政治が出来るわけがない。どちらかの政党が正直ならば連立の解消を求めるべきである。この連立を解消しないまま政治を続けるならば、やはり利権とか集票を求めるという次元のところで仲良くなっていくだけである。もはや政治の空白は許されず、失われた日本を取り戻すには今が最後のチャンスであり与えられた時間は長くない。

8月 偽善=悪

偽善とは悪である:現実に目を瞑り、無難な理想論を述べ迎合する偽善者。

● 老人がお金を持っているからそれを取り上げろと言わんばかりの課税。お金を持っている老人は若い頃から浪費を控え、人よりも働いて老後のたくわえを作ったものが大半であり、代々の財産相続で潤った老人はごく少数である。すなわち働けなくなった時に他人に迷惑をかけたくないという思いで、若い時に老後の分まで働いた者が、老人はお金を持っているからもっと税金を出せと言われるべきでない。若い時にあまり働かず散財しまくって年金の積み立てもしないで、老後に困窮する。それを自業自得だと言うよりは、全ての国民は健康で文化的な最低限の生活をいとなむ権利がある、困窮した者には生活保護費で充分に手当てしなければいけない、と主張するほうが善人のように思われる。自分が善人と思われたいので現実を無視した理想論ばかり叫ぶ、偽善の横行が世の中を退廃と滅亡に導く。偽善とは悪である。(病院外来における「生活保護受給者」と「自立低年金受給者」の態度・要求度などを比較して、偽善の結果に悲しくなるほどの不合理性を感じさせられています)

●「若者が夢と希望を持てるような社会を作りたい」とは政治家の選挙演説でよく耳にするフレーズであるが、いったいどんな社会を考えているのだろうか。各人が経済的にも精神的にも極めて豊かな社会では、もうこれ以上の希望や夢は持たなくても現状が維持されるだけで満足であると言える。すなわち若者があまり夢と希望を持たない社会である。一方で経済的にも貧しく、言論は統制され、自由が束縛されている社会では、若者のみならず誰もが、経済的に豊かになろうという希望を持ち、どうすれば豊かになれるかという考えを巡らす。自由と平等の獲得を夢見ていろいろな行動を起こす。考えて行動することに生き甲斐を見出す。若者が夢と希望を持てるような社会を作りたいのならば、経済的にも貧しく、言論は統制され、自由の無い社会を作れば良い。この説は何か間違っているようだが、要するに「夢とか希望と言うものは、社会情勢がどうだから持てるとか持てないというものではない、夢と希望は自分で抱くものであって社会や他人が与えてくれるものではない」という根本的な原理を見失っている偽善的な表現が「若者が夢と希望を持てるような社会を作りたい」であるように思えてくる。

● 経済成長戦略? それは国民一人ひとりが一生懸命働いて達成されるものであり、経済特区を作っても・法人税を減税しても・雇用機関を増やしても、国民一人ひとりが一生懸命働になって働かなければ経済成長はあり得ない。政府は経済成長戦略を進めるにあたって、雇用機関を増やす・保育所を増やす・法人税を減税するなど綺麗ごとばかり言っているが、「働かざるもの食うべからず、働けない者は保護するべし」・「好みの仕事が見つからなければ嫌な仕事でも我慢して働け」などとは決して言わない。保健介護・保育・農業・林業・漁業、或いはそのほかの中小企業では働き手が無くて外国人を使っている(その中には不法入国外国人も多い)。働き手が無いというのに何故か失業者が多く、生活保護の受給者が多い。 これも政治行政の偽善が横行した結果である。

 12月  特定秘密保護法について

 私は原則的に賛成です。国家機密が守られずして国民の安全が守れるわけがない、国家機密の漏えいは、国民の生命・財産・尊厳に対してとてつもない大きな被害につながるものです。
 この法律で定める秘密の範囲が曖昧であり、「行政内容を知る権利」が脅かされるという心配があり、また法律の悪用によっては、不必要に逮捕拘束される危険があると言って反対の声が上がっています。
 しかしどんな法律でも拡大解釈、曲解(曲げた解釈)、悪用解釈は出来きます。不法侵入罪を悪用すれば誰でも彼でも簡単に逮捕・拘束されます。実際に「別件逮捕」という名目で多くの人がその憂き目にあってきました。憲法でさえ「自衛隊は軍隊では無い」という曲げた解釈が平気で行われているのにあまり問題にされていません。
 議論はまず、「国家機密をどのようにして守るか」ということから始めなくてはいけません。どのようにして国家機密を守るかを論じないで、現れた法案に反対するだけでは国民のことを考えているとは言えないでしょう。
 要するに時の権力者は法律文章の意味を勝手に解釈することが出来ますから、法律の文章に曖昧な点があるからどうこう言うのは無意味であって、法律を悪用しない政治家、法律を悪用する官僚を取り締まる度胸のある政治家、を選挙で選ぶことが重要であり、そのことにエネルギーを使うべきだと思います。

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 ここで不思議に思うのは、権力者の悪事を隠蔽するためにもっとも利用されやすい個人情報保護法という法律は何の反対も無くデモ行進も見られぬまま決められたことです。個人情報保護法によってどれだけの悪事が隠蔽されているか、一般人がどれほど不便を感じているかを話し出せばきりがありません。個人の情報は公開しても、個人に対する冒涜・脅迫・恐喝・嫌がらせ・しつこい電話商法などを行った加害者は厳しく罰することで個人を守るべきです。個人情報を隠したからといって個人に対する冒涜・脅迫・恐喝・嫌がらせ・・しつこい電話商法などが減ることは無いでしょう。個人情報保護法によって一般の善人が得るメリットはほとんど無くデメリットは非常に大きいような気がします。一方反社会的行為を行うものにとってはきわめて大きなメリットがあるでしょう。このような悪法が簡単に決まり、国家機密を守る重要法案の決定には難航するのは困ったものだと思っています。

2014(H26)今日の一言

1月:ミニ研究(minimum research

 一療養型病院における肺炎球菌ワクチンについて

当院は271床の療養型病院であり、入院患者の平均年齢は80歳代後半である。肺炎球菌ワクチンがテレビで盛んに宣伝されているためか、入院患者の家族から肺炎球菌ワクチンを接種してくれという希望がしばしばみられる。私の受け持ち患者では、今まで咽頭吸引痰の培養検査で肺炎球菌を分離したことが無いので肺炎球菌ワクチンの接種はあまり薦めていない。そこで当院全体の培養検査結果をまとめてみた。喀痰といっても自力喀出できる患者はほとんど居ないので検体は咽頭吸引痰である。平成25年(2013)年の1年間に、気道感染を疑われて咽頭喀痰の培養検査を行った患者は96名であり、検査回数は184回であった。その結果を分離頻度の高い順に並べると表に示したとうりで、184検体から226株の病原菌を検出したが肺炎球菌は全く検出されなかった。

コメント:起炎菌として頻度が高いといわれているインフルエンザ菌および肺炎球菌の分利率は3.8%および0%と低く、療養型病院の入院患者にたいする肺炎球菌ワクチンの接種はあまり意味が無いと思われた。緑膿菌および腸内細菌の気道定着が進んでいるが起炎菌としてどこまで意味があるかは不明である。一方A群以外のβ溶血性連鎖球菌(GBS,GCS,GGS)の分離頻度がかなり高く(合計:184検体中45株、25%)、この菌を分離するときは高熱を伴っていることが多かった。

咽頭痰培養検出菌頻度:( 20131月~12月 検体数:184 患者数:96 

分離菌のうち「ナイセリア・コリネバクテリウム・肺炎球菌以外のアルファ連鎖球菌」は載せていない。

頻度(%: X/検体数)

備考

Pseudomonas. aeruginosa

6535.3%

MDRP無し

Serratia marcescens

3016.3%

Proteus mirabillis

2614.1%

23は SBL

GBS

2614.1%

 

Providenncia stuartii

2513.5%

MRSA

2010.8%

 

GGC

147.6%

 

Klebsiella. Pneumonia

105.4%

1株はESBL

MSSA

84.3%

 

H. influenzae

73.8%

 

GCS

52.7%

 

Sternot. maltophilia

42.1%

 

E. coli

31.6%

Mycobacterium(NTB)

3 (1)

 

Enterobacter cloacae

31.6%

 

Enterococcus fecalis

21%

 

合計16菌種

226

 

 

6月:熱医研30年の栄光

熱医研とは、「正式名称を熱帯医学研究会」 という琉球大学医学部の学生サークルであり、暗黙の了解として、保健・医療・医学を国際的な観点から考えつつ「人の和の輪」を広げるという目標をもっている。今年は」このサークルが出来て30年目にあたり、記念行事が行われた

熱医研30年の栄光

熱医研創設30周年と聞いただけで私は感無量の境地に引き込まれていきます。熱医研はこの30年間に琉大医学部の存在価値を高め、部員の人間的成長に大きく貢献してきました。熱医研活動を通じて、落ち込んでいた者が夢と希望を抱くようになり、暗い性格であったものが明るく爽やかな性格に変わり、人前で話の出来なかった者が人々を説得しリードするようになり、世界の情勢に疎かったものが物事を地球規模で考えるようになり、医学部を辞めようとまで考えた者がいまや立派な医者になり、友達がほとんど居なかった者が多くの友人を持つようになり、勉強嫌いが勉強好きになり、思いやりの心に乏しかったものが思いやりの心で満たされるようになるなど、熱医研が若者に与えた影響は計り知れないのです。今考えてみれば誰もがこのどれかに当たっていると思うに違いありません。

30年の歴史を振り返る

昭和59年(19844月に2期生の9名によって熱医研は創設されました。その名は、知念克也・山城哲・外間実裕・町田孝・友利寛文・城間清剛・正本仁・砂川正木・宮城裕です。創設後数年のうちに部員数が50名を超える勢いで発展し、3年目の昭和61年(1986-11-23)には全国熱医研学生大会を主催するまでになりました(時の部長は4期生の田名毅)。当時から全国の医学部には熱帯医学・国際保健医療などに関する学生サークル活動が存在したが人数も少なく集まっては消え、再度集まってはまた衰退という状態であったが琉大熱医研は30年間一定して50100名の部員数と活動量を保ってきたのです。それは熱医研に参加すると楽しいからであり、楽しくなければ人は去っていくでしょう。琉大熱医研でも熱く燃えている時期や冷めている時期もありましたが、楽しいサークル活動であることは間違いないようで、その楽しさを作り出した歴代の部員たちは本当に素晴らしかったとおもいます。その素晴らしさは、熱医研でささやかれたいろいろな言葉から察することが出来ます。例えば、「野球部員は野球をするが、熱医研部員は何でもする」、「でっかい事をするには仲間が大切」、「人の和の輪でつながれた仲間」、「何かをする目的は人の和の輪を作ること」、「熱医研はリーダーを作る」、「熱医研は全ての部員が中心的な存在」、「物を見るより人を見る」、などなど。これが熱医研の伝統的な哲学であり、現在も尚この伝統に沿って動いていることは、熱医研の携帯メーリスの交信内容から見てもよく分かります。こうして30周年を迎えた現在、OBOGによる「真の熱医研」が既に活発に動いていることを注視したいものです。

琉大医学部の特色は、「熱医研の存在」

 琉大に医学部が設置されたころ、大学の紹介にはまず「琉球大学は南に開かれた国際性豊かな特色或る大学である」と書かれていました。そして当時の東江学長も大鶴医学部長・小張病院長も皆その基本方針に従って行動していたのです。そこに熱医研の誕生があり、大学の内外において多大な貢献をはたしはじめました。貢献の実例は私の回顧録「孤軍奮闘」に詳しく述べてある。しかし今、琉球大学のホームページを見ても「琉球大学は南に開かれた国際性豊かな特色或る大学である」という文言は消えて、{琉球大学は、「地域特性に根ざした国際性豊かなアジア・太平洋地域の卓越した教育研究拠点大学」を将来像とする。}と書かれています。「卓越した教育研究拠点大学」とはどこの大学でも目指して居ることであって、それでは特色にならなりません。医学部は、その基本理念として「アジア・南太平洋地域を中心とする南に開かれた国際性豊かな医学部を目指しています。」と標榜していますが、「基本理念・目標として特に國際性を強調していない他大学」と比べても、琉大の国際交流は低調であります。それでも、日本熱帯医学会や日本國際保健医療学会の人々は熱医研の活動に注目しており、琉球大学と熱帯医学を結びつけて見ています。琉大医学部の特色は「熱医研の存在」であり、そのほかに特色は全く見当たりません。

真の熱医研

私は現役時代に「真の熱医研は君たちが卒業してから始まる」と語りかけてきました。現在、 熱医研OBの海外活動は活発で「真の熱医研」が既に完成しています。「真の熱医研」には部長も居ないし組織の届出もありませんが、現実に心のつながりとして存在しています。その活動は私の知る限り、長崎大学熱帯医学研究所において山城哲(2期)・亀井里加(保16期)・宮城啓(6期)・長谷川麻衣子(12期)島崎貴治(20期)・加藤隼悟(21期)が学生時代に培った國際性と学力を活かして華やかに地域活動・国際活動を行っています。国立感染症研究所/国立国際医療センターでは、中島一敏(4期)・砂川富正(5期)がフィールド疫学の専門家としてジュネーブのWHO本部に長く勤務して世界中を飛び回り、渡辺恒二(18期)はエイズ専門医としてアフリカの医療に貢献しており、渡辺恒二には14期の旧姓屋比久貴子がぴったりと寄り添っています。国内では別の道を歩むOBOGも「真の熱医研」部員であって現役学生・先輩・後輩との出会いを楽しみに待っています。

熱医研の将来

 熱医研部員は学生時代から国際性をはぐくみ、人の和の輪を広げ、卒業後は国際活動における即戦力として期待されています。しかし残念なことにその能力を母校である琉球大学で発揮する機会に恵まれていません。そこで現在はほかの機関・施設を拠点に国際活動に取り組んでいるわけです。長崎大学熱帯医学研究所には既に多くの熱医研OB/OGが居り、指導的立場を築きつつあります。今後も引き続き熱医研部員が長崎大学熱研に所属していけば、そこは間もなく熱医研の城となるでしょう。研修医でも・大学院でも・教官でもよいから、OBOGは是非長崎熱研を目指してほしいと思います。私はこれを「長崎熱研乗っ取り計画」と称して、長崎熱研の所長に話したところ、琉大卒業生が長崎熱研を支えてくれるとは有難いことだと言って喜んでいました。

11月(No.1): 独裁政治と民主主義

独裁者によって政治が行われると、物事が極めて能率的に進み、議論によって無駄なお金と時間をやたらと費やす議会も必要なく、多くの無駄が省ける。従って、独裁者が正しい判断と行動で政治を行えば、世の中に幸せと平和をもたらし、人々は夢と希望の開放感を味わう。しかし独裁者が私利私欲に走り、或いは判断を誤り、間違った方向へと走り出した場合、誰にも止められず世の中に悲惨な結果がもたらされる。

  良い独裁者が現れてほしいと願うのだが、独裁権限を持つと何故か人間はたいていの場合悪いほうに変わっていく。それゆえに、いかに無駄の多くても議会制民主主義は止められないのである。町長・市長・県知事・議員でも「ある程度の独裁権限」を有しており、始めは青雲の志を持ってその地位に着くのであろう。しかし間もなくその権限を公的でなく私的に利用する方向に傾く場合が多い。無能な人や利己的な人が活発に動くことほど恐ろしいことはない。有能で利他的な人が力を発揮できないことほど不幸なことはない。要するに、選挙での投票においては、国民一人一人が無能な政治家と有能な政治家、或いは利己的であるか利他的であるかなどを慎重に見分けなければならないとい。この見分け方は簡単ではないが、その有権者によるその努力なしに良い政治は期待できない。

11月(No.2)みんなの党解散。

 5年くらい前には、民主党政権に絶望し、利権集団のような自民党に政権が戻るのも嫌だし、わが日本の行く末に不安を抱いていたとき、第1次安部政権で行革担当大臣であった渡辺喜美が自民党を離党してみんなの党を結成した。渡辺喜美が行革担当大臣であった時の行動からみて、これは期待できそうだと思って協力し始めた。その後はみんなの党の集会にも再三出掛けていって話を聞いたが、はじめの期待ほどではないことが少しずつ分かってきた。川田隆平・江田憲司両議員のタウンミーテイングで第一に感じたことは「二人とも、国家感というものが全く欠如している」ことであった。川田隆平議員はもっと手厚い社会福祉をもたらせ、江田憲司議員は官庁の無駄遣いを減らせ、というのが主な主張であって、それは「国民誰もが持つ思い」を彼らもまた述べているにすぎない。外交・防衛・教育などの関する自分の考えや方針などは全く述べず、それに関する質問に対しては「難しい問題ですね」の一言で終わるといった情けない状態であった。国家感の欠如した国会議員というのは国会議員としては全く役に立たない。

 しかし中には私の選挙区に「杉田水脈」、隣の選挙区には「井坂信彦」という立派な人間が居たので、まだまだ「みんなの党」には期待を持ち続けていた。そのうちに渡邊喜美代表の「度が過ぎた横暴」に不快感を覚えるようになった。そして「杉田水脈」は日本維新の会に移籍、「井坂信彦」は結いの党に移籍となり、さらに紆余曲折を繰り返してきた。「井坂信彦」が江田憲司の率いる結の党に移籍したのは残念であったが渡邊喜美代表の「度が過ぎた横暴」に対してやむをえずとった行動と解釈したい。最近になって日本維新の会は分党して次世代の党が出来、また結いの党と合併して維新の党が出来た。橋下徹と江田憲司が共同代表というがこの二人がうまく行くはずがない。分裂は時間の問題と思います。大阪維新の会が太陽の党と合併したとき時も少々まずいと思ったがそれでも何とか許容範囲であった、結局分党したが喧嘩別れではないし今後も協力関係は保たれそうである。維新の党(日本維新の会・結の党で結成)の分裂は喧嘩別れになると思います。橋下徹大阪市長が始めからの「大阪維新の会」を貫いてきたら、大阪都構想も上手くいっていたのではないかと思います。

 話が横道に入ってしまいましたが、遂に「みんなの党」は解体され、私も「みんなの党」とはおさらばになりました。5年間の応援活動は水の泡ではなく、そこで立派な人間を見つけることが出来ました。これからは党派ではなく「立派な個人」を応援していくことにします。

「お前は何時まで政治に関わるのだ」と言いたい人にはアウンサン・スーチー氏の言葉を紹介しましょう、

 政治は自分と関係がない」とは考えないでください。政治は自分とは関係ないと言っても、政治は向こうからかかわってきます。逃れることはできません力というのは正しく使わなければ、危険なものです。正しく使うことで初めて価値のあるものになります。

 

12月(No.1):またまた総選挙

2年前、どうしようもない民主党政権が、わが国に数限りない不幸をもたらしたあげく、ようやく終わってほっとしたのだが、今回は任期半ばにしてまた国会解散である。いま解散する理由は無いと思うが、解散は時の政権が有利と思ったときに行うのはどの政党が政権にいても同じであるから仕方が無い。ところが今度の解散は、政権与党にとって果たして有利であろうか。絶対多数を持っている与党は、今回の選挙で議席を減らすことは間違いないと思えるのになぜ解散するのだろうか。聞くところによると、任期末になって解散するよりも議席の減少が小幅にとどまるからという理由らしい。あと2年の任期中に立派な仕事をすればさらに議席を増すであろうに、この先に自信が無いのだろうか。考えてみれば、カジノ法案ひと通せないようならば解散したほうがよいのかもしれない。

 団扇を配ったとかお金を配ったとか、違法行為があったのならば警察が判断して司法の場で論ずればよいのに、立法機関である国会において井戸端会議のような論争を繰り広げ、法案審議という本来の業務を怠っている。これは職務怠慢である。職務怠慢の議員が多いことにはうんざりするが、彼らも我々が選んだ人間であり、いわゆる任命責任とかいうものが我々の側にもあると言える。だから選挙では職務を全うする良い人を選ばなければいけない。

12月(No.2)「国歌の歌詞」

いろいろな国の、「国歌の歌詞」をインターネットで調べてみました。

【日本】
君が代は 千代に八千代にさざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

【中国】
立て 奴隷となるな 血と肉もて 築かんよき国 立て!立て!立て!
心あわせ 敵にあたらん 進め敵にあたらん 進め 進め 進め 進めよや

フランス】
ゆけ祖国の国民 時こそ至れり正義のわれらに 旗はひるがえる 旗はひるがえる 聞かずや野に山に 敵の呼ぶを悪魔の如く 敵は血に飢えたり 立て国民 いざ矛とれ 進め進め仇なす敵を葬らん。

【韓国】
東海が乾き果て
 白頭山が磨り減る時まで 神の護り給う我が国 万歳むくげの花 三千里 華麗な山河 大韓人よ 大韓を永久ならしめよ南山の老松 鉄の鎧をまとい 風霜の変わらざるは 我等の気性なり広い秋の空 雲ひとつなく澄み渡り 輝く月は我等の精神 誠実な心なり、この気性とこの心で忠誠を尽くさん 辛くとも 楽しくとも 国を愛さん。

【タイ】
タイ王国はタイ国民の血肉を集めてできている。タイの領土はすべて国民のものであり、タイ国民の団結と愛で維持されている。タイは平和を愛するが闘いを恐れはしない。タイの独立を誰からも侵害させはしない。そのような時には、全ての血を捧げ、勝利の時まで闘い抜くであろう。タイ王国に栄光あれ。

【ベトナム】
ベトナムの戦士たちよ進め 団結し国を守るのだ 長く険しい道のりに響く軍靴の音 勝利の血に赤く染まった旗は 国家の精神を象徴する進軍歌とともに 遠くで唸る砲火 敵の躯を乗りこえ 我らの輝かしき進路は続く 困難を乗り越え 抵抗の拠点を築こう 人民よ 止むことなく戦え戦場へ急げ! 進め! みな進め! ベトナムは永遠なり

【イギリス】6番まである
1番:神よ我らが慈悲深き 女王陛下を守りたまえ。我等が高貴なる女王陛下の永らえんことを 神よ我らが女王陛下を守りたまえ。勝利・幸福そして栄光を捧げよ御代の永らえんことを。神よ我らが女王陛下を守りたまえ.
6番:ウェイド元帥の勝利が、主の強大なる助力によりもたらされんことを。彼が反乱を鎮めんことを願わん、激流の如きスコットランドの反乱を打ち破らん、神よ我等が国王を救いたまえ!  
6番まであるが、その6番に問題が多く英国内では法制化されてないが、事実上のイギリス国歌として位置づけられている。

【ロシア】3番まである。
ロシア 聖なる我らが祖国  ロシア 愛しい我らが国 強力なる意志 大いなる栄光 永久に祖国の富とならん!称えよ自由なる我らが祖国 結ばれし永久の絆。我らが先祖より 伝えられる知恵 称えよ ロシアの誇りを!

【アメリカ】4番まである
1.
おお、見えるだろうか、夜明けの薄明かりの中、我々は誇り高く声高に叫ぶ危難の中、城壁の上に雄々しくひるがえる太き縞に輝く星々を我々は目にした。
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中、我等の旗は夜通し翻っていた。ああ、星条旗はまだたなびいているか?自由の地 勇者の故郷の上に。

【北朝鮮】
金銀の朝の光が我が地に射し、自然の富が朝鮮民族同志を包み込む。我らの美しき父なる大地と、聡明なる人々の誇りは、5000年の長きにわたり光り輝く文化の繁栄をもたらした。 我が身と心を、永遠なる朝鮮の為ささげよう! 強固な意志、労働精神の結束が、白頭山を包み世界に広がる。人民の意志の上に成り立つ国家は、熱狂の波となり強く舞い上がり進み行く。絶え間なく強く豊かな朝鮮を永遠にたたえよう!

感想
血と肉を持てとか、血に飢えた敵とか、実に戦闘的であまり品格があるとはいえない国歌が多い中で、日本の国歌「君が代」は表現が単純で美しく和の国日本をよく現していると思います。歌詞は『古今和歌集』にある詠み人知らずの歌から採用されました。長寿を願うお祝いの歌として愛唱された歴史もあるそうです。尚、君が代は世界国歌評定会で第1位の秀歌に選定されたそうです。
  ロシア、韓国、北朝鮮の国家が意外とおとなしいですね。

今日の一言(2008のタイトル
<人生の喜びと悲しみ> <昔、医学部卒業生へ送った言葉>

組織運営の要点> <ボスを選ぶのも能力のうち>
<途上国での国際協力>
 <教育と医療>
<無策> <日本は女性によって支えられている?>
<冤罪だけは止めて欲しい!<時代の流れ>
<暴力を否定し暴力に頼る矛盾、これが人間の社会>

平成262014のタイトル
1月:ミニ研究(minimum research
 一療養型病院における肺炎球菌ワクチンについて
6月:熱医研30年の栄光

11月(No.1): 独裁政治と民主主義
11月(No.2)みんなの党解散。
12月(No.1):またまた総選挙
12月(No.2 いろいろな国の、「国歌の歌詞」

平成29年(2017)
113日:教育勅語、
7月:教育基本法かくあるべし
3月:一言述べるまでも無いが、何故学校で北方領土の歴史を教えてこなかったのか <図解北方領土の歴史

2011年(平成23年):今日の一言
○ 1月:組織の自浄能力(琉球大学)
○ 2月:普天間基地移設問題:
○ 5月:「オーランチオキトリウム」と「ボトリオコッカス」
○ 6月:ああ!琉球大学
○ 9月:どこかで聞いた教訓的な話
○ 10月:TPP論議

1月:組織の自浄能力(琉球大学)

序文:医学部の同窓会というのは「寄付・圧力団体」であり、親睦会としての意味は小さい。

と、私はいつも言ってきました。寄付する先は母校の医学部でありまた学生であります。何処へ圧力をかけるのかといえば、それは母校の医学部であり、母校の医学部が好ましくない状態になった時に「改善せよ」という圧力をかけて是正させる必要があります。卒業生の親睦会は主として同期会とかクラブ活動のOB会が担っています。今、琉大医学部の状況をみると、もはや同窓会が大学に是正と自浄を促すための圧力をかけていかないと更に悪い方向へ行ってしまいそうな気がします。

最近また琉球大学医学部の不正論文問題が新聞テレビ・インターネットをにぎやかにしている。多数の不正論文を作成した教授が懲戒免職になった。一度公になった論文が取り消しとなったので、その論文で学位をとった人は「論文の消失」と共に学位も消失(取り消し)となるなど不正を行った対価は非常に大きくなっている。更に某会社の社長に学位を与える代わりにその教授が退職した後の天下りを引き受けるといった内容の怪文書が流れるなど、琉球大学は恥曝しになっている。

 先日、琉大の職員が学生の質について次のように言っていた。

試験で答案を返したら、学生が自分の回答部分を書き換えて、「ここはあっている」と言って採点の訂正を要求してきた(先生は答案用紙をすべて、コピーしていたため、嘘が分かった)。ツイッターで同級生の女の子の悪口を書きまくっている男の学生がいるなど。これでも「医者」になるのかと思います。> 

 たしかに学生の質も考えなければならない。琉大医学部では1990年代から教授の論文捏造・盗作・セクハラなどが頻繁に発生していたが、内部告発で分かったものは全て隠蔽され、告発者や真相解明を要求する者はひどい虐待を受けるはめになった。外部からの告発で分かった事件では、告発者の力が強い場合に限って該当者は処分を受けたが外部告発者が勤務医や開業医の場合は力でねじ伏せてしまった。教授・学部長・学長が不正行為を行っていれば学生の質が落ちても当然である。

 今回の不正論文事件は、インターネット上でもいろいろな意見が述べられている。もっとも多いのは学長の関与に関するもので、意見の中心は「倫理観と責任感」であり、<「倫理観と責任感」が欠如する人しか学長になれないような大学には将来はないですね。残念ながら・・・・・> という投稿が全てをまとめているように思える。

論文の著者はその論文を自分の業績として活用できるとともに、その論文に対する責任があるというのは当然のことである。「知らないうちに名前を付けられた」というのは「知らぬ間に自分の玄関先に知人が賄賂のお金を置いていったので受け取った」 と同じことだ。「知らないうちに名前を付けられた」と言っても不正論文の著者であるという事実は厳然としている。自分が関与していないのに勝手に名前をつけられた場合、それが優秀な論文であれば労せずして大きな利益(業績)を得ることになる(賄賂に当る)が、それが不正論文であった時は、世の中に対して「賠償、処分、辞任」などの形で責任をとらなければならない。もし本当に知らなかったのならば、名前を無断使用した人を訴えて名誉毀損、実害などの賠償や謝罪を求めるべきだが、今回それは、「罷免された教授 vs. 学長」の個人的な問題であり、大学は関係ない。大学が関係するのは、「学長が不正論文の著者であるという事実」・「大学の職員が不正論文の著者であるという事実」 に対しての関係である。琉球大学は不正論文の著者に含まれる一部の職員・院生に対しては懲戒免職とか学位取り消しなどの処分を行ってきたが、学長には責任を取らせていないのはなぜだろうか。琉球大学の学長は不正論文の著者であるということに対してなんら恥じることはないのだろうか。 琉球大学の教官は不正論文の著者を学長にしておいて「良し」と考えているのだろうか、そうだとしたら納税者である国民は哀れである。自浄能力を示して大学の「有るべき姿」を取り戻してほしい。

論文は研究者にとって自分の将来を決める大切なものである。昇格の基準は大半が論文の評価によって行われるので競争は激しく、邪魔されることも稀ではなく、功をあせっての不正論文も決して無くならないと思う。大学という組織で不正論文が作られたという事件は頻繁に起こっているが、大学の評価を下げるのは「不正論文が作られた」ということよりも、その事件にどう対処したかによって決まる。 どのような社会的責任をとり、どのようにして再発防止策を立てたか、という大学組織の「自浄能力」によって決まる。「自浄能力」の無い大学は「税金の無駄使い組織」として縮小の運命をたどることになるだろう。いまこそ同窓会は大学に是正・自浄化の圧力をかける時である。

 

2月:普天間基地移設問題:

日米安全保障条約は日本の繁栄・安全・平和を守るために必要であるという。
私もこの考えと同じである。また多くの大半の国民がそう思っていると理解している。我が国では国の政治も地方の政治も「日米安保による繁栄・安全・平和」を前提で行われているので「平和と安全」を維持するためにはそれなりの負担が必要であり、国も自治体も国民もその負担を負わなければならない。

絶対的な平等と言うのはあり得ないが、極端な不平等は絶対に避けなければいけない。国民の間に極端な不平等が常在するようになるとそれは内紛に発展し、国民が皆不幸になる。外国の軍事基地を地域内に抱えるという重い負担を平等に引き受けるために、国・自治体・国民は次のように行動すべきであろう。

1、各都道府県知事・議会の義務:
 日米安全保障条約を維持するために必要な軍事基地の設置を各自治体が平等に引き受けるという原則のもと、現在米軍基地を置いていない都道府県は、基地を置くべき土地を準備しておき、必要な時には即応できるようにしておく。基地負担という重荷を他府県に押し付けて自分の居る自治体はその重荷を逃れて、繁栄・安全・平和という利益だけをただ食いすることは許されない。

2、政府の義務
 或る県は過重な基地負担を負い、或る県は全く基地負担を負わない、という極端な不公平を政府は早急に解消させる義務がある。65年間もの長きに渡って沖縄に米軍基地の過重負担を背負わせてきたので、問題の先送りや時間稼ぎは不誠実そのものである。戦略上の問題で沖縄からの移設が出来ない場合は、その負担を上回る保障が必要である。政府は、「日本の平和と安全を守る義務」を国民一人一人に認識させる努力を常に行っていなければならない。

3、国民各人の義務
 国民一人一人が日本の平和と安全を守るにはそれなりの覚悟と負担がかかることを認識し負担を甘受しなければならない。沖縄人だけに負担を押し付けるという態度を改めなければいけない。政府は、「日本の平和と安全を守る義務」を国民一人一人に認識させる努力を怠ってきたのではないか、平和と安全を守るのは他人任せという歪んだ教育を続けてきた結果である。
 普天間基地の移設先に鹿児島県徳之島の名前が挙がった時、「島人の心を踏みにじるのもいいかげんにしろーっとさけぶ成年の姿」が何回もテレビ画面に現れたが、沖縄人の心が現在も尚踏みにじられている時にどういうつもりで叫んだのか。鹿児島県には米軍基地は存在しないが、沖縄人の心が踏みにじられているその代償として自分達が「繁栄・安全・平和」を享受しているのは当たり前だとおもっているのだろうか。これはたまたま鹿児島県徳之島の名前が挙がったので此処に記載したが、他のどの県の名前が挙がっても同じような動きが現れると思われる。自分の近くに基地が来るのに「絶対反対」というならば、沖縄の辺野古に基地が来ることにも反対しなければ、あまりにも利己的である。在日米軍利用施設を有する都道府県をインターネットで調べてみたら(Wikipedia)次のようになっていた。在日米軍利用施設を持たない府県民は沖縄県民に対してどのような気持ちを持っているのか、申し訳ないと思っているのか、今や思っているだけではすまない状態なのである。

都道府県別の全ての米軍施設規模と都道府県別の米軍施設 - Wikipedia

 

土地面積
(
m²)

北海道

4,274

青森県

23,751

東京都

12,964

千葉県

2,102

埼玉県

2,279

神奈川県

18,239

静岡県

1,205

広島県

3,537

山口県

6,630

福岡県

22

佐賀県

14

長崎県

4,561

沖縄県

229,245

 

5月:「オーランチオキトリウム」と「ボトリオコッカス」
この二つの生物(藻類)はなにやら石油とほぼ同じオイルを産生するらしい。特に沖縄の海で採れたオーランチオキトリウムAurantiochytrium)株は極めて高い油の生産能力を持つという。2万ヘクタールの培養面積で日本の年間石油消費量を賄えるというから、現在の日本に存在する15万ヘクタールの耕作放棄地の一部を使えばもはや石油を輸入する必要が無くなり、耕作放棄地の3分の1をこの培養に使えば日本は石油輸出国になるらしい。これは、この研究を進めている筑波大学渡邉信教授

が描く夢であり、技術が順調に行けば1リットル当り50~60円のガソリンが供給できるようになると考えているようだが、今後どのように展開していくだろうか。

太陽光発電装置が日本で先駆けて開発されたが始めは採算に合わないという理由で、民間企業は積極的になれなかった。原子力発電と火力発電で潤っていた電力会社とそこに天下り先を多数確保しながら、溢れるばかりの原子力関連予算を我が物顔にしていた官僚は自分達の独占領域を侵されるとして、むしろ発展の邪魔をしてきたとも思われる。だからしばらくするとドイツや韓国・中国などの外国に先を越されてしまったと言われている。今や電気を溜め込んだ電池式自動車の時代が来ようとしているのに、太陽光発電を行っても電気は貯められないから夜はどうしようもない、といったような風潮を作り上げたりもしたようだ。

オーランチオキトリウムAurantiochytrium)という石油製造植物の研究も既存の石油業界やそこに天下りにする官僚から潰されるのではないかと心配である。今こそ国策として強力に研究開発を推し進めるべきものであるような気がしてならない。

 

6月: ああ!琉球大学

平成23629日の「琉球新報」に、「学長共著は不正論文」という大きな見出しの記事が載っていた。

昨年から問題になっていたデータ流用・捏造など不正論文の数々、学長が著者になっている論文も不正論文と言われたが、医学部調査委員会は「学長の論文は不正ではない」という結論を出して報告した。そうして学長は不正を行った教官を処分した、最も責任の重かった教官には懲戒解雇という処分を下した。

しかし「学長の論文は不正ではない」という内部調査の結果は始めから疑問視されており、インターネット上では(http://blog.goo.ne.jp/naoki_mori)事細かに不正の内容が暴かれる状態になっていった。

そこで大学評議会が外部委員を含めて再調査した結果が新聞に載ったのである。新聞には、不正論文の著者である学長や「虚偽の報告をした調査委員会のメンバー」には処分を行わないと記されている。すなわち、琉球大学では「不正論文の著者」が学長として君臨し続けるというのである。

琉球大学教職員の皆さん!これで良いのですか? 真理を探究する学問の府である大学のトップに君臨する学長が不正論文を作成・公表して、そのことが公に知れ渡ってもそのまま居座れる琉球大学とはどういうことですか。研究者・教育者が不正論文を作成して公表するというのは、学生が試験のときにカンニングしたなどというレベルのものではない「いわば倫理的な巨悪」とも言える大罪なのである。

 内部調査が如何にいい加減なものであるか、調査委員の教官と私的に話をすれば、「あの論文はデータの流用だけでなくとんでもない捏造である」という言葉が飛び交うのだが、「学長・評議会への報告」の段階では「不正ではありません」と変化する。学長の権力を「怯えての行動」、「不正を調査するという使命感の無い行動」・「正しいことを正しいと言えない臆病」・「怖くも無いちょっとした学長の脅しで正義を曲げてしまう不正義」、このようなひ弱な人が大学教授としてその部下に君臨しているのはなんとも情けない、彼らを養っている納税者は哀れである。

 

9月:どこかで聞いた教訓的な話
1)ストレスは多くの場合、嘘をつくことに起因する。嘘をつくこと、嘘を隠すこと、これには大変なエネルギーを要する。嘘を隠すエネルギーが尽きた結果は、鬱状態になるか、やけくそになって悪事に走るか、病気になるか、自殺するか、ろくなことは無い。どうして嘘をつくのか、それは人々が「祈りの場」を持たないからである。人は皆、「祈りの場」を得なければいけない。
2)生まれるのは不意に生まれたので、こちらが注文したのではないから、無茶苦茶に生まれたのでも仕方がないし、それで良いのだ。しかし、どういう死に方をするのかは自分で決めるわけだから、死ぬことにおいては人生の意義・目的を充たして立派に死ななければならない。人は先ず、自分がどのようにして死ぬかを決めてから、他のことをするべきである。人は何時死ぬか分からないので、何時死んでも大丈夫なように常日頃から死ぬときのことに備えておくべきである。「あめつちのなかに人あり、人はただ、妙のみ法を守るべくあり」人生の目的はこれだ! 

 

10月:TPP論議
FTA(自由貿易協定)の締結やTPP(環太平洋経済連携協定)は今後各国が生き延びるために必要だからこそ持ち上がってきた問題だと思う。

TPP(環太平洋経済連携協定)に関する議論が世の中を騒がせている。TPPへの参加に反対するグループは反対の理由として「TPPに入ると、日本の農業が壊滅する」と叫んでいる。それでは、TPPに入らなければ日本の農業は壊滅しないのか? とんでもない、TPPを避けて通れば、日本農業の壊滅は加速する。現在は農業を支えるという理由で巨額の税金が投入しているにもかかわらず、日本農業の壊滅は時間の問題といわれている。TPPに参加せずに日本の輸出産業が衰退すれば、農業関係に投入する税金さえもはいらなくなってくる。

要するにこのままでは「TPPに入る入らない」に関係なく日本農業は壊滅への道を歩んでいる。それは農業政策を利権と考えて行動する農水官僚や農水族政治家とそのおこぼれをもらおうとする輩がとんでもない政策をすすめているからである。たとえば減反政策といって、米を作らないで田を放置すれば税金を使って補助金を出すという異常な政策、その補助金を計算したり配布するための天下り組織に税金を使う。一生懸命お米を作ったら補助金を出すのならばよいが、田を放置しておけばお金を与えるという異常な行為、そのほかにも人々が自由に農業を出来ないようにする数々の規制、これが日本の農業政策であり、日本の農業を行き詰らせている。このような政策を進める農水官僚や農水族政治家とそれにまつわる輩がいるから日本の農業は壊滅するのである。

日本の農業を活性化させるには、利権漁りの農業政策を止めることが第一であり、「TPPに入る入らない」は関係ない。TPPに入らずに自動車・機械・電化製品その他もろもろの輸出産業をつぶして、また農業もつぶして・・・ついには日本がつぶれる。こんな馬鹿なことにならないよう願っている。

日本は資源に乏しいが、国民は世界が感心するほどよく勉強してよく働き、高度経済成長を成し遂げた。しかし1980年代、政府は、国民に「日本人は働きすぎだからそんなに働くな」と呼びかけて、意味の分からない祝日を乱造したり、ゆとり教育といって勉強をさせないように仕向けたり、いろいろと馬鹿な政策を進めてきた。その結果まもなく日本はナンバーワンの国から転げ落ち、借金大国となり、国債の信用度は低下し、日本の国自体が信用を失ない、領土までも外国から蝕まれるようになった。政治家も、役人も、大学の先生も皆小粒になり、大物が出なくなった。一度怠け癖の付いた人間が再び勤勉になるのはとても難しい、さてこの国の将来はどうなるのだろうか。われわれに出来ることは、選挙での投票が唯一の手段かもしれない。私利私欲の少ない、覚悟のある政治家が誰であるかをよく見極めて(よくよく調べて)から投票しなければならないと思う。

         2012年:今日の一言

11
月: 藤村操の「巌頭之感」

明治36年(1903年)5月、1人の高校生が日光華厳の瀧に飛び込み自殺した。若干16歳(満年齢)の彼は巌頭から瀧壷へ飛び込む前に、そこにあった大きなミズナラの樹肌を削って、遺書としての名文を刻み込んだ。

 悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。

ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ。

萬有の眞相は唯だ一言にして悉(つく)す、曰く、「不可解」。

我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。

既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。

始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。

これを噛み砕いて言えば、 

遥かなる宇宙と計り知れない過去から未来への時間。この遥かなる無限の大きさと、無限の過去にさかのぼり、無限の未来に延びる時間、小さな自分の体と短い人生の時間をもってこれらを理解しようとするが、哲学者の考えをもってしても何ら理解することは出来ない。宇宙の真相と宇宙に在る自分を含めた全てのものの存在は「不可解」の一言に尽きる。自分はこのことを考えて長い間苦しみ悶え、遂に自ら命を絶とうと決意した。今、華厳の滝の上に立っているが何の不安も感じない。此処にいたって初めて分かったことだが、大いなる悲観は大いなる楽観と同じである。

という意味になる。

明治という時代は、若干16才の若者がこのような文章を書くことが出来たのであろうか、我々の世代とは精神構造のスケールが違っているように思える。

振り返ってみれば私も若い頃から同じようなことを考えて不安と恐怖に悩まされていたことがある。私にはこのような名文を書くことも出来ず、また黙って死を決するほどの度胸も無くただうろたえていたが、しかし、遥かなる宇宙も計り知れない過去から未来への時間もすべて本仏釈尊の法体であり、その境地は安穏としていることが分かると、人生に光がさしてきたように感じた。そしてその境地至る道筋が示されるとあらゆる不安恐怖は消滅して、日々の生活は生き生きとしてきたのである。この青年が、お釈迦様の教え「法華経」に出会っていたならば、彼の「不可解」を解くことが出来、その後は法に従って生きるという素晴らしい人生を送ることが出来たはずである。

2007年(平成19年):今日の一言

個人情報公開法?2,007年 61日): 何時からか「個人情報保護法」なるものが世の中にまかりとうっているので、誰がどのような人であるか分からずに人々の心は疑心暗鬼で満ちている。お互い疑心暗鬼で満ちた人々で作る国が美しい国になれるはずが無い。少なくとも個人の氏名住所年齢指紋など個人を特定するものはいつでも誰でも何処でも知ることができるように公開されるべきものである。但しそれを悪用して個人に迷惑や損害を与えるような行為に対しては厳罰で対処しなければならない。顧客情報が流出したといって大騒ぎになり、顧客情報を管理していたものが処罰される。しかしその情報を入手して脅迫やゆすり、ストカー、嫌がらせなどを行った者に対する処罰は曖昧である。個人情報が万民に知れ渡っていてもそれが悪用されない限り何の不都合もない。そればかりか、緊急時その他都合の良いことはいくらでもあるはずだ。友達を職場に訪ねてみたが休暇であった場合、家に連絡を取りたいから電話番号を教えてくれといっても個人情報ゆえに決して教えない。これも不便です。嫌がらせ電話とか、断っても押し付けてくる広告ダイレクトメールなどなど、どんなに迷惑をかけても殆ど罰せられていないのに住所氏名電話番号などを他人に知らせたら罰せられる。こんなことでは世の中の悪を助長するだけで決して悪を減らすことはできない。自分の周囲でさえ誰がどんな人か全く分からずに生活しなければならない。隣の人の様子がおかしい?誰かが監禁されていても、爆弾を作っていても、そんなことは関係ない世の中になってしまった。個人情報保護法は悪徳役人や悪徳政治化の不正を隠す目的で作られたような気もするがそれ以上の弊害を世の中に撒き散らしているように思えてならない。この法律を直ちに撤廃し、個人の住所・氏名・生年月日・指紋くらいは公開するような個人情報公開法をつくることが美しい国日本をつくるための第一歩である。

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情報化社会(7月1日): 世の中は情報を人よりも多く集めれば優位に立てるといった錯覚から情報の収集に奔走している人が多くみられる。しかし集めた情報は良く考えてみると殆どが不要なものばかりであってむしろ情報が障害になってどうすることも出来ない状態に陥っている。今はじっとしていても情報の波が押し寄せて来るので、情報を切り捨てる方が大変であり大切である。情報を収集して優位に立つのではなく情報を発信してこそ優位に立つことができる。最近、或る本で読んだことを思い出しながら話をしてみよう。教育、福祉、医療、行政、環境などの豊かな社会を守り発展させていくには情報なくしては不可能であり、従ってその「情報と情報源」は社会的共通の財産である。その利益を目的としない情報発信において「情報と情報源」は社会が尊敬と負担をもって維持すべきものである。私は「うーむなるほど、そのとうりだと考えました。「発信された情報だけが人間や社会を変える」というくだりにはえっ?と思ったが続いて「皆が情報を発信しないから、情報発信のプロであるメデイアの伝えることだけが真実となり、世論になる」と書いてあった。これもうーん、まさにそのとうりだ!さらに「情報を発信しない組織は必ず敗者となる」という一句があった。発信する情報を持たない組織ならばもともと競争の舞台に上がることは出来ないが、皆の利益になるすばらしい情報を持つ優れた組織でも情報を発信しなければ間もなく敗者として葬られるというのである。

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宗教2,007年 7月15日): 日本は無宗教者の比率が世界希なる高頻度で有名であるが、その理由の1つはお釈迦様の教え(お経)を中国語で学んだ飛鳥時代以来の僧侶達がそれを日本語に訳さなかったことである。世界に「平和と安心」という巨大な利益を与える素晴らしい情報をもちながらそれを発信してこなかった寺という組織は「生臭坊主の葬式宗教」などと非難される敗者の道を歩んできた。近代になってようやくお経の日本語訳が現れ始めたが普及(情報発信)の努力は微々たるものである。幸い日本語のお経に巡り合えた時私は直ちに信者となった。私は毎朝出勤の前に、お釈迦様の教えの最重要部分である法華経の2〜3節を暗誦してお題目を唱えながら祈りを捧げている。即ち始めに、1)「この宇宙世界は全てみ仏の掌中に有り、世の人々は全て仏子である。しかし人々は常に多くの患いや恐れに悩んでおり、それを救うのは我、本仏釈尊、のみである。」・・・という法華経第三章の一部。次に、2)「世の中の時運尽きて世界が破滅の大火に焼かれる時も仏の居所であるこの極楽浄土は安穏として園も館も美しく天人達がそこに舞い、樹木はみごとな花と実を付け、人々が遊楽する楽園である。天人たちは天の鼓を打ち美しい音曲はながれ、天の花びらが降り注いでいる。」・・・という第十六章の一部、仏の教えに沿って正しく物事を考え行動するならばこのような所に永遠の生命を得ることになる。そして、3)「日月の光があらゆる闇をのぞくように、上行菩薩は末法の世に現れ出でてこの教えを広めて人々の心の闇を晴らし、人々を仏の国へ導くであろう」・・・という第二十一章の一部、この3つを暗誦し、続いてお題目を唱えている。 私は毎朝主にこの3節を暗誦するのだが、もしこの教え1)をお寺の坊さんが皆の衆に読み聞かせると、中国語で書かれた「今此三界皆是我有、其中衆生悉是吾子、而今此処多諸患難、唯我一人能為救護」を「コンシーサンガイカイゼーガーウーゴチューシュジョーシツゼーゴーシニーコンシーショーターショーゲンナンユイガーイチニンノーイークーゴー」と言う声で人々に聞かせるので聞く者は何が何だか分からないのも無理はない。 また教えの2)は、いわゆる極楽浄土と言うか、キリスト教やイスラム教で言う天国というか、成仏した者の永遠の状況を人々に説明した法華経第 16 章 の1 節であるが、その 章の冒頭に「仏は不滅にして永遠常住の身であるが、その様子は人々が世の中をみるような存在ではない・・・・(大小・美醜・高低・明暗などこの世でいう感覚とは全く違ったものでこの世にあるものをもって表現できるものではない)」という1節がある。「表現出来ない」では教えにならないので、お釈迦様は人間世界の感覚に対応させて「この極楽浄土は安穏として園も館も美しく天人達がそこに舞い、樹木はみごとな花と実を付け、人々が遊楽する楽園である」といった表現をなされたものであろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

平成19年(2,007年)8月1私の好きな詩:西海讃歌  作詞:藤浦 洸  作曲:團 伊玖磨

空いっぱいに空があるように
海いっぱいに海があるように
人よ、心いっぱいに
美しい心をもって
この空を、この海を、この土を、愛そう
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初志貫徹  2,007年 810日: 人生というものは若い頃に考えた通りには行かないものであります。医学部入学試験の面接をしていると、若者が医者になろうと思う動機は「患者と親身になって相談できる医者になりたい」とか「無医村・僻地・離島など医療に恵まれないところで働きたい」といった類のものが多く見られます。事実、この考えは決してウソではなく昔の若者も同じでありました。しかし現実は、何年経っても医療過疎地は減らず「患者と親身になって相談できる医者」絶対多数派になったとも言えません。若い頃に考えたことが実現しない理由は自分が一人で生きているのではないという世の中の現実に出会うことであり、また人との出会いであります。或る人との出合いによって自分の進む道を思いもかけない方向へと向けてしまうこともあります。私もその例であり、喘息を専門とする内科医になろうという道を走っていた者が、ある人との出会いによって熱帯地で下痢便を集めて回るようになったのです。それで至極満足しているのだから人生は不思議です。短期間の行動で初志貫徹が貫けないと困りますが、人生のような長丁場では初志貫徹はなかなか難しいようです。
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ベトナム!・・・「アメリカ と戦争して勝った世界でただ1つの国」・・・2,007年 825日: 

 アメリカは感心するほど戦争のプロである。世界中で戦争して連戦連勝、大日本帝国でさえ4年間苦闘の末に敗北し、今やアメリカにはノーと言えない国になっている。ところがベトナムはフランスの植民地から激しい独立戦争を経て引き続きアメリカとの長期戦で遂にアメリカを追い出した。休む間も無く中国が北から攻め込んできたのを追い出し、続いて南から攻め込んできたポルポト派の軍隊も追い出した。
 ラオス・カンボジア・タイなどは一応インド文化圏に属し、小乗仏教の国でお寺はいわゆるパゴダに特徴を見るが、ベトナムは完全な中国文化圏であり、お寺はいわゆる中国スタイルである。ベトナム人の顔つきはラオス・カンボジア・タイを含めて我々と同じであり、我々に対するもてなし方も良く似ているが、仕事をして感じる雰囲気はまるで違っている。ベトナムでは土日祭日もお構い無しに仕事する勢いがある。誰も彼も活気に溢れており、仕事はてきぱきとこなす。ベトナムには肥満した者を殆ど見かけない。皆やせ形で華奢に見える。ベトナムは決して豊かではなくむしろ貧しいという感じはするが、町に乞食は見当たらず、不良グループらしき者達も見かけないので、夜の街を一人歩きしてもラオスと同様にあまり不安は感じない。ラオス人は「ふわっとした穏やかさ」、ベトナム人は「きりっとした穏やかさ」を感じさせる。 
 ベトナム戦争では170万人のベトナム人と5万人のアメリカ兵が死んだといわれる。数字でみれば人的被害は 34:1 であるが、死者の他に建物の被害や不発弾や枯れ葉剤による土地の被害などはベトナムが一方的なダメージを受けた。ベトナムの死者は赤ん坊から老人まで含めた数字であり、アメリカでは20才代前半の若者ばかり5万人が死んでいる。しかもアメリカではこの戦争に参戦した何十万人の若者が無意味な殺りくで心に大きな傷を負って帰国し、人間的にみて再起不能に陥った者が多く、その後麻薬に走ったり町で銃の乱射事件などを起こすようになったりした。これが、アメリカ衰退の大きな原因となり古き良きアメリカは消滅した。一方ベトナムは多大な犠牲を払ったが祖国防衛という大義名分を持ち、戦いにそれなりの意義を感じていた若者は精神的に誇りを持ちそのエネルギーが戦後直ちに復興の原動力となった。やはり本当に戦いに勝ったといえる。
 ハノイの町にフランス統治時代の刑務所があり、今は博物館になっている。独立運動家を捕まえて拷問にかけたすさまじい様子をそこで知ることができるし、本物のギロチンが何台か展示されている。それにも関わらずベトナム人はフランスやアメリカの悪口を殆ど言わない、何も無かったように普通にしている。ナパーム弾を落とし、枯れ葉剤をまき散らしたアメリカの爆撃機 B52 が墜落して捕虜になった乗組員もその刑務所に収容されていたが、彼等は国際条約に沿って人道的に扱われていたという説明がそえられており、その様子が写真で展示されている。「アメリカやフランスが憎らしくないのか」と恐る恐る聞いてみたら、「憎んだって仕方が無い、事実を知れば自ずと彼等自身が恥ずかしく思い反省するでしょう」といった意味の言葉が返って来た。さすがにアメリカと戦争して勝った国の返答である。 
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死亡原因の南北差 2,007年 910日):  我が国における死亡原因は悪性腫瘍と心血管系疾患が主であり、途上国では感染症と欠乏症(栄養、沃素、ビタミンなど)が主であると言われる。悪性腫瘍や心血管系疾患は先進的治療において巨額の費用をにもかかわらず空しい結果に終わることも多く、それらの疾患による死亡者の年齢は天寿をほぼ全うしかけていることが多い。感染症や欠乏症は原因が明らかであり、あまりお金をかけない単純な治療で完治することが多い。そのような疾患で死亡するのはこれから先の人生に無限の夢を持つ幼小児が殆どである。「死ななくても済むのに死んで逝く幼小児」、その数は年間1000万人くらいといわれている。これをなんとかしなければいけないが、それはもはや医学的な問題ではなく、経済、行政、教育の問題である。
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生まれた子供が死ぬから人口が増える 91日):  世界は人口問題で悩んでいる。現在の人口は太陽エネルギーを用いて生活出来る人口を遥かに越えており、尚増え続けている。過去に蓄積された太陽エネルギーともいうべき化石燃料を掘り起こして使っているがその限界も近い。人口調節のためにファミリープランニングという名の避妊指導を途上国において大規模に行っているが、殆ど成功していない。地球上の人口を減らさなければならないのに、途上国の人口は物凄い勢いで増えている。そこで、毎年感染症で死んでいく1000万人の命を救っていたら、更に人口が増えて地球ごと破滅するかといえばそうではない。なぜ途上国で人口が増えるのかといえば、それは生まれた子供が幼いうちに死んでしまうからである。生まれた子供がちゃんと育つという自信、親がその自信を持った時、親は生む子供の数を減らすのである。その証拠として乳幼児死亡率が低下した国から順番に人口が減り始めている。今や、日本の乳幼児死亡率は世界で一番低い。そして生まれる子供が少ないと嘆き、少子化対策に知恵を絞っている。この現象は日本の前に欧米で見られ、またインドにおける実験でも証明された。インドのケララ州で乳幼児死亡率を低下させたところ一時的な人口増加の後、出生率が激減した。
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自民党と民主党2,007年 101日): 自民党と民主党はどこが違うのかといえば、それは官界・財界との癒着の有無だけであり、そのほかは全て同じであるといっても過言ではない。だからどっちが政権を取っても外交・防衛・経済・教育・社会福祉などに激変が生ずることは無く今までどうりに事は運ぶのである。同じであるから2大政党の間で政権交代が行われても国家として混乱はない。政官財の癒着があると、おどろくべき税金の無駄遣いが生ずる。その結果国民は知らぬ間に何百万円という借金を背負わされてしまった。一家4人ならばその家には2千万円以上の借金があることになる。これは自民党が50年以上も政権の座に居すわった結果であり、選挙でそのようにさせた我々国民の責任であるから甘んじてこの借金を返済しなければならない。民主党が政権を取ったらしばらくは税金の無駄遣いが激減すると思われるが長期間政権の座に居れば必ず官界・財界との癒着が芽生えてくるだろう。そのときはまた政権を交代させなければならない。          
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子供の目 2,007年 113日):  「目は口ほどにものを言う」、本当にそのとおりだと思う。私が強い印象を受けた目つきはいろいろあるが、一才前後の赤ちゃんの目は素晴らしい。どの赤ちゃんの目を見ても、何の邪心もない無邪気で澄み切った瞳に思わず自分の濁った目が恥ずかしくなる。ところが物心が付いてくると次第に大人の様子・仲間の様子を伺い、また好奇心が湧いてくるためか目の輝き方も変わってくる。小学生にも成ると無邪気さを保ったまま好奇心が旺盛になっている目つきと、他人の様子を伺い顔を伏せがちで或種の恐怖心、欲心、無気力さなどが見えかくれするような目つきなど個人差が見えてくる。無邪気さを保ったまま好奇心が旺盛になっている目つきの子供達を見るのはとても楽しい。是非多くがそのような目つきの子供に育ってほしい。 私はこれまでに多くの発展途上国で仕事をしてきたが、発展途上国ではどこへ行っても子供が多い。そして貧富の差が大きいことも共通している。私の仕事は主として下痢関係のものであるため、貧困層の人々に接することが多く、たくさんの子供達を見て来たが、真っ黒によごれた半裸の子供達がみな好奇心に満ちて光り輝いた目をしているのが印象的であった。ちょっと手伝いを頼むとみな競い合って手伝ってくれる、なにか幸せそうにみえる。こうなると直ぐに日本の子供達はどうだろうかと考えてしまう。 貧しさにも程度があり、私が接した人々は「食料は不足していないレベル」の貧困層であった。毎日の食事を十分に取れるという貧しさだと子供の目は輝いているが、食に事欠くほどの貧しさになると子供達の目から輝きは失われる。途上国で貧困層の人口が50% 以下という国は殆ど無いであろう。世界人口の10% 以上が毎日の食が満足にとれないというので途上国人口に限れば人口の20% くらいが食事を満足に取れていないことになり、目の輝きを失った子供が何億人も居ることになる。これはなんとかしなければいけないが、ただ援助すればよいといったような単純なものではない。
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合法的税金泥棒 2,007年 1213日: 最近では元防衛省事務次官の守屋夫妻容疑者の話がマスメデイアを賑わしているが、それは氷山の一角よりも小さいことは間違いない。談合とは業者が悪いように報じられるが、予定価格の99%で落札などと言うのは役人がその価格を業者に知らせるという違法行為があるから出来るのであって、悪いのは業者よりも役人である。このような違法行為においては時々であるが警察に捕まることになる。しかし多くの場合は合法的な泥棒であるから始末に困る。例えば官僚たちが天下りで働かずに高給を得て、視察名目の大名旅行を繰り返し、2~3年で高額の退職金をもらう、全て合法的行為である。その汚い合法的行為には当然頭に来るが彼らはその合法性を得るために、彼らがポケットに入れる金の100倍1000倍というお金を使って無意味なXX法人という組織を作り、○○プロジェクトなるものを作る。だからいくら税金を払っても足りなくなる。先日テレビ報道していた「私の仕事館」は総工費580億円で 毎年約20億円の赤字を続けているそうだ。現在フリ-タ-の所得は年間150万円程度というから20億円という費用は13千人程度の吸収力を持つ。地元住民の反対を押し切って完成させた諫早湾干拓事業は事業費2,533億円という。私はこれを合法的税金泥棒と思っている。官僚を取り締まれるのは国会であり内閣であるが、同じ政党が60年間も権力の座に居座ってきたのでその議員や閣僚が官僚と癒着してきたので国民はどうすることも出来ずに高い税金を取られ続けている。そのような国会議員を選び続けてきたのは我々国民であるから、税金泥棒の責任は我々自身にもあるということを実感しない限り高い税金を払い続けながら年金は削減され、まともに医療さえも受けられない状況が続くことになる。


定年退職:
 
それは達成感と共に過ぎし日を回顧する時である。それは更なる夢を描いて発進する時である。それは今後の一日一日を楽しみで満たす時である。それはあなたにとって特別な時である。
これはProfessor Dr. Bernt Eric, Associate professor Dr. Sun Nyut Wai and Reseachfellow Dr. Tianyan Song(スウェーデン・ウメア大学分子生物学) が私に贈ってくれた言葉です。
Retirement is a time to look back with satisfaction. Retirement is a time to look ahead with anticipation.  Retirement is a time to fill each day with enjoyment. Retirement is a very special time for you.  Sun, Bernt Eric, Tianyan
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平成19年5月3日: 近頃は20才30才の爺さん婆さんがやたらと沢山居るように見える。誰かが言っていた、「青春とは生物学的年齢の一時期ではなく、夢を持ちそれを実現しようと努力している心の状態を意味している」と全くそのとうりだと思う。


2008年(平成20年):今日の一言

平成201月1日 <人生の喜びと悲しみ>人生の喜びと悲しみは、極まる所「出会いと別れ」であります。「出会い」とは尊敬・信頼・愛情の獲得であり、「別れ」とはその尊敬と信頼・愛情が断ち切られることであります。「別れ」といっても単なる物理的な別れである「死に別れ」や「遠隔地への移動」というものは、尊敬・信頼・愛情を断ち切るものではなく、その悲しみは凡人の1時的な感情に過ぎません。1時的な感情が過ぎれば獲得した「出会い」の喜びは永遠に続くものであります。悲しみは、心の断絶です。今年も皆さんに素晴らしい出会いがありますように!

平成20年2月 <昔、医学部卒業生へ送った言葉> 私は23年間、琉球大学医学部で講座を担当し、学生の課外活動「熱帯医学研究会とボードセイリング(ウィンドサーフィン)部」という2つの大きなグループの顧問を務めてきた。毎年行われる卒業部員の送別会(沖縄では留送会と言う)では「卒業生に送る言葉」としていつも何かを喋らされてきた。先日、下書き原稿の一つが出てきたので、10年くらい前に卒業部員達に向かって話した内容を紹介します。大学を卒業するということは、人生のいろいろな節目のなかでも大変意義深いものであります。卒業式は過去の努力を讃えるとともに将来の希望に進む節目でもあるからです。私も6年間付き合ってきた君達が卒業していくことを少し淋しく思いますが、また大変嬉しく思いますし、家族も親戚も皆嬉しく思ってくれるでしょう。君達は祝福されているのですが、のぼせてはいけない。4月からは、今までと違ってもはや、只飯、只酒、只宿、只車、只旅行・・・など全ては無くなる。食べるのも・飲むのも・勉強するのも・乗る車も・住む家も全て自分で調達し支払いを行わなければならないことを忘れてはいけない。責任が重くのしかかってくるのである。責任をもって社会へ出ると、いろいろな面で妥協を強いられる。他人と妥協することなしでは社会生活は出来ない。どのレベルまで妥協するかによってその人のidentity が出来上がる。お金さえ積めば何にでも妥協する人、脅かせば直ぐに妥協する人、お世辞をいえば妥協する人、など人によってそれぞれにいろいろな程度がある。しかし、人間として、医者として、これだけは絶対に妥協してはいけないという倫理の一線を守ることが、その人の人生を意義あるものとする。その一線を守ることが出来なければその人の人生は空しいものになる。倫理の一線のレベルは人によって違ってくる、厳しいところに線を引く者もあり、甘いところに線を引く者も居るであろう。しかしどんなに甘い線を引いても絶対に悪いこと、例えば、エイズウイルスで汚染された薬液を患者に投与することは誰が見ても悪いことであり絶対にしてはいけないのである。君達が新入医局員であって、例え教授から『首にするぞ! お前の将来は無いぞ!』 と脅かされても妥協してはいけないということだ。そのような場面を見た時も見て見ぬ振りをせず、正義に基づいた勇気をもって発言し、行動することが大切である。一人一人がこの『正義に基づいた勇気』をもって発言し、行動して始めて理想的な世の中が誕生するということだ。間もなく君達は一瞬の戸惑いを感じるであろう。誰かが自分の方を見て”先生!”と呼んだ。後を振り返ってみたが誰も居ない。そこで自分が先生と呼ばれたことに気付く。はじめは誰でも戸惑い、照れくさいが、慣れてくると何だか自分が偉くなったような錯覚をおこして威張り始める者がいる。そうなるともう駄目だ。警察では容疑者取り調べの時、白状させることを『歌わせる』という。寿司やではお茶のことを『あがり』と言う。このように、馬鹿でどうしようもない直ぐにお世辞にのるような人間を「先生」と呼ぶ人も沢山居ることを忘れるな。先人の誰かが言った「先生と呼ばれるほどの馬鹿ではない」と。君達が「先生」と呼ばれるほど尊敬される人になることは間違いないと信じるが、「先生」と呼ばれるほどの馬鹿な人にならないよう常に心がけねばなりません。

 

平成203月 <組織運営の要点>世の中には、組合・会社・スポーツチーム・役所・大学・同好会・病院・町内会・各種ボランテイア組織、或いは地方自治体などなどいろいろな組織がある。組織とは人の集団であり、何らかの目的を持って結成されている。従ってその目的を達成するための努力が常になされていなければならない。目的を忘れたり、目的を達成するための努力がなされなくなった組織は単なる烏合の衆であり、軽蔑の対象である。組織運営を成功させ、組織を発展させるための条件として、どの組織にも共通したものがいくつかある。第1に先ず絶対的な条件は人材である。組織を支える柱であり梁である人材が鋼鉄か腐木かでは自ずと将来は決まってくる。優れた人材を確保して引き止めて上手く使う一方で不要な人材を避けて有害な人材を排除するか、不要有害と見られた人材をそれなりに上手く使うことが組織の発展と成功に不可欠であることは当然である。これは誰でも分かっているように思えるが、現実の世の中では優れた人材を上手く使えずに切り捨てたり、不要な人材を採用し引き止め、しかも重用している例、さらには有害な人材を排除出来ず、組織を食い物にされて衰退していく組織が余りにも多いように見える。人材の採用を誤ると、結果は不正・不和・怠慢・ハラスメントなど組織を衰退させる行動が日常に現れる。第2の条件は目標の設定である。どんな組織でも或る目的を持って結成されているが、目的を達成することは必ずしも容易ではない。何時までに何をするというように、期限を定めてどれだけのことを成し遂げるかという目標を設定し、一歩一歩目的に近づく努力が必要である。目標は皆が合意できるものでなければいけない、無理な目標を設定し皆にそのノルマを課しても湧き上がる意欲が無ければ決して上手くいかない。第3の条件は組織構成員の意欲「協力しようという意識」の育成である。目標に向けた行動を皆で協力して実行しようという意識・意欲を組織の人々が皆持つようにしなければならない。自分の所属する組織が、何を目的としてどのような目標で行動し、現在どのような状態にあるのかという、実情を知ることによって、誰もが自分の所属する組織を良くしよう、発展させようと思い、意欲が湧き、一致協力しようという意識が生まれるのである。現場の状況をよく理解していない者が無理な目標を設定してノルマを課しても決して意欲は高まらない。第4の条件は連携の強化である。個人と個人の連携・デスクと現場の連携、横の連携、縦の連携、これらが上手くいかないと能率が悪く無駄が多くなる。この連携を上手く進めるには部局間・各個人間の密接なコミュニケーションと相当なレベルの情報開示が必要である。組織運営に当たって重要な情報を組織構成員が知らないと連携は上手くいかず、協力するという意識も湧いてこない このような原則に従って組織運営を行っていけば、運営は成功する。組織運営に成功すればその組織に属する人々は皆喜びと幸せを得るが、失敗すれば不幸と悲しみを招くことになる。

 
平成205月 <ボスを選ぶのも能力のうち>私が心底から尊敬する恩師小張一峰先生は、某都立病院の医師から直接長崎大学熱帯医学研究所の教授に着任した珍しい経歴の持ち主でした。その後、WHOに就任して4年間、無職の1年間、浜松医療センター院長3年間、琉球大学医学部設置準備委員を経て昭和56年から62年までの7年間は琉球大学医学部付属病院長兼第1内科教授を勤め、国立大学ですが御退職の時は齢既に72歳でありましたが極めて健康でありました。小張先生は無職であっても大学教授であっても、病院長であってもその地位に関係なく、小張先生に接する人々の態度が全く同じでありました。ある地位を離れたとたんに人々の態度が急に変ったという例はいくらでも見てきましたし聞いてもきたわけですが、私は自ら小張先生を恩師に選んだことで自分の能力に自信をもったのであります。その能力とは、私が未だ若い時に、小張先生の偉大さを、僅か15分間位の会話で見抜いて弟子入りしたということです。"ボスを選ぶのも能力のうち"と言われますし私もそう思っているからです。悪いボスにつくと大変困りますが、それは自分にボスを選ぶ能力がなかったと思って諦めるべきであります。

 

平成20年5月12日 <途上国での国際協力>* 国際協力とは異文化との闘いである。特に途上国に対してありふれた技術と知識だけ携え、指導するつもりで現地へ行ってもそれは全く役に立たないことが多く反って対立を生み出す逆効果になることさえしばしばである。異文化の中における、人生観や「もの考え方」、さらには礼儀作法に至るまで現地の文化を理解しそこに溶け込まなければ、持ち込んだ技術と知識は役に立たない。異文化に溶け込むことが出来ても自分自身の国の文化をしっかり身に付けておかないと軽蔑の対象にもなりまた妙なことになる。民族固有の文化で最大のものは言葉であり表現である。ずいぶん前のことですが、結核研究所の石川信克先生は「途上国での国際協力」に関する講演のなかで、次のように話していました。私も全く同感であり、先生の表現が素晴らしかったので以下のようにメモを取っておきました。

国際協力の現場で何をするのか?

   ○現地人に近づき

   ○現地人と共に暮らし

   ○現地人を愛し

   ○現地人から学び

   ○現地人の知っていることから始めよう。

Go to the people, live with them, love them, learn from them, start with what they know.

協力の結果、立派な成果を見て、彼らが「これは我々が自分自身で成し遂げたのだ」と言ったとき、そのプロジェクトは成功した、と言える。

 

平成207月 <教育と医療>教育と医療は社会の平和を導く2大要件であり、これを疎かにすると人材は育たず国は衰退する。歴史的に見ても日本の発展は教育と医療によって大きく支えられてきたと言える。私が小学生の頃はまだ家でも学校でも「よい教育」が行われていたような気がします。それが次第におかしくなってきたことは、今日の世の中を見ながら昔を振り返ってみると良く分かります。昔から日本では貧しくとも子どもには良い教育をおこない、健康と成長を見守ってきたのですが、豊かになった平成の世に、医療や教育を実質的に切り捨てつつあるので、その結果も近い将来に計り知れないほど大きな悲劇となって現れると思います。既に学級崩壊>学校崩壊が進み、続いて医療崩壊も進んでおり、それは病気の独居老人とか共稼ぎの家庭に病人の世話を強いるという事態になるでしょう。教育と医療の切捨てを行った官僚・政治家の責任は計り知れず大きいのですが、日本の官僚政治はその責任を取らないで済むようになっています。何とかしなければいけません。

そこで今回は教育に関する理念を述べた2つの文章を紹介して感想をのべてみたいと思います。

【文章-1】

我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図る。

【文章-2】

我々の祖先は遠大な理想のもとに道義国家の実現を目指して日本という国を造ったものであると、自分はそう信じている。日本国民が忠孝の道を全うし心を合わせて努力してきた結果は、現在に至るまでの見事な成果として現れている。それはまさに日本の優れた国柄の賜物と言わなければならない。教育の根本は道義的な国家の達成にあると自分は信じている。日本国民は皆、子は親に孝養を尽くし、兄弟姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人とは胸襟を開いて信じあい、自らの言動をつつしみ、全ての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、更に進んで社会公共のために貢献し、また法律や秩序を守ることは勿論のこと非常事態発生の時は真心を込めて国の平和と安全に奉仕しなければならない。これらのことは善良な国民として当然の勤めであると同時に、我々の祖先が今日まで身をもって示し残してきた伝統的美風を更にいっそう明らかにすることとなるのである。このような「国民の歩むべき道」は、我が祖先の教訓として我ら子孫の守らなければならないものであるとともに、この教えは昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく外国で行っても間違いのない道であるから自分もまた国民と共に父祖の教えを胸に抱いて立派な日本人となるように心から念願するものである。

【文章-1】に対する感想:世界の平和、人類の福祉、理想を実現、個人の尊厳、真理と正義、公共の精神、豊かな人間性、創造性、伝統の継承、文化の創造、などなど美辞麗句を無造作に並べただけのもので空虚さを感じる。役人か政治家か、誰が作成したのか分からぬ無責任な言い放し文章という感じがする。

【文章-2】に対する感想:この文章の中で「自分」というのが誰かは別としてトップに立つ者が教育はこうあるべきだ!と願いをこめて語りかけているのである。教育の根本は道義的な国家の達成である、とはっきりした目標を示している。文章も格調高い。

総括:要するに日本は2の理念を捨てて、わけの分からぬ1の文章を理念として教育の根源に据えたので現在のような学校崩壊や家庭崩壊が起こったのである。

 

平成208月 <無策>高齢者の生きるべき社会についてはあまり関心を払わずに、ただ長生きさせる技術だけを発達させるように努力した結果高齢化社会が出来上がり、今度は高齢者を如何にして切り捨てるかという努力をして、「後期高齢者医療制度」なる法律が出来上がった。 今の高齢者が若い時には高度経済成長期とはいえ「猛烈社員」という表現が流行したように、とにかく働きまくって税金を納め・保険料を納めて、当時の老人達に「寿」という印鑑が押された全額無料の健康保険証を与えてきた。その人々が高齢になった時は負担と極端な制限を付けた後期高齢者保健医療制度が押し付けられた。これはいくらなんでもひどすぎると思う。

 

平成209月 <日本は女性によって支えられている?> 私が以前、大学で教鞭をふるっていたころ、学生数は男対女2:1なのだが、いつも半分以上が女子学生であるかのような雰囲気であった。クラスでも課外活動でも変化を恐れずものごとを前向きに考え、新しいことに挑戦するといった元気と度胸のある行動は殆どが女子学生によって行われているように見えた。昨年、中学・高校性の英語スピーチコンテストを見に行ったところ59名の演者のうち男子生徒は14名、女子生徒は35名であった。中学高校生にとっては大勢の前で演壇に上がって英語で話をするというのはとても度胸が要ることと思うが、女子生徒たちの勢いは立派なものだった。高校生の部で優勝・準優勝のオーストラリア行きを勝ち取ったのは2名とも女子生徒であり、コンテストの後で行われた「昨年の優勝・準優勝者によるオーストラリア訪問の報告」でも2人とも女性であった。今回の北京オリンピックで柔道とレスリングのメダル獲得数を見ると、柔道では男子2個(金2)、女子5個(金2、銀1、同)であり、レスリングでは男子2個(銀1、銅1)、女子4個(金2、銀1、銅1)であった。要するに格闘技でさえ日本は女性によって支えられているようにみえる。メダルの獲得はともかくとして、闘志・迫力・根性なども女性の方がはるかに勝っているように感じられた。「なでしこJAPAN」サッカーの選手達をみれば、身長で負けていても果敢にヘッデイングや走り込みで食らいつく勢いは本当に勇ましく惚れ惚れとしたものだが、反町JAPAN,岡田JAPANにはあまり感激が湧いてこなかった。ソフトボールナインの根性にも惚れ惚れしたが、野球のナインにはあまり迫力を感じなかった。いっそのこと早く憲法を改正して女性の司令官と兵隊さんで軍隊をつくれば、国民が拉致されたり、竹島を占領されることもなくなるかもしれない。

冤罪だけは止めて欲しい! 9月 No.2   大相撲の力士若ノ鵬が大麻所持容疑で逮捕され解雇されたのは、確実な物的証拠と本人の供述が一致した結果で妥当な決着と思われ、更に何らかの刑事処分を受ける可能性もあろう。 しかし、露鵬白露山の場合、専門機関による尿検体の精密分析で大麻に陽性反応を示したが本人達は大麻を吸ったことはないと断言している。近代科学を駆使したDNA鑑定とか科学捜査の結果クロであると言われても、本人が絶対に吸っていないというならばちょっと考えさせられてしまう。飲酒していない人の血中にアルコールが存在して、呼気検査で陽性に出たことがあるそうだ。その人は或る種の代謝性疾患があり、体内で常にアルコールが産生されていたという。 露鵬露山の場合それに類似したことは無いのか? 鎮痛剤に限らず何か別のものを摂取して反応が陽性にでるとか代謝異常によって大麻成分が産生されるとかいうことはないのか?大麻を吸えない状況下において何日か経過した後で尿を調べてみてはどうか? 彼らの尿から大麻の成分が検出された、という科学技術の結果に間違いがあるというのではない。大麻を吸っていないのに尿から検出されることがあるのかどうかを調べなくてよいのか、ということである。 捜査当局はありとあらゆる可能性を考え、冤罪だけは避けてほしいものである。

 

平成2010月 <時代の流れ>
○ 19世紀は、ヨーロッパの国々がアジア・アフリカ・中東・南米の国々を植民地化して莫大な富を搾取蓄積した、いわゆる白人天国の時代であり有色人種はその召使に甘んじていた。
○ 20世紀は、植民地解放の時代であり、世界大戦の時代であり、また資本主義と共産主義が世界を2分して対決した冷戦の時代であった。西側諸国では共産主義の恐怖を感じ、東側諸国では自由主義の浸透を恐れていた。
○ 21世紀は、イスラム国家と中国に2極化され、世界が脅かされる時代になるような気がする。中華至上主義と聖戦断行のイスラム原理主義が世界にどのような影響を及ぼすのだろうか。
 このような時勢にあって我が日本国はいったい何をしているのだ。国の根幹を支えるための税金が利権グループの食い物にされ、もはやそれが常識化していることが恐ろしい。

 

平成2011月 <暴力を否定し暴力に頼る矛盾、これが人間の社会>暴力を否定する発言は多く、暴力を肯定するような発言は皆無に等しいと言えるかもしれない。暴力否定を声高に叫び、学校における先生の体罰などは論外と発言する者は人間味溢れた善人であるという錯覚が蔓延している。暴力を振るう者に対して、それを上回る強力な暴力の背景無しに、相手を説得して暴力を収められることは少ない。DVもまた本当に悲しい問題である。我々が社会生活において他人の暴力から辛うじて守られているのは、暴力を加える者に対してそれ以上の強力な警察という国家権力による暴力を背景に持っているからである。国際的にもそれは同じであって、軍事力と言う暴力的手段の背景を持たない国は国民が拉致されようと、国土を奪われても、諦めるよりほかは無い、話し合いが無視されて怒り狂っても馬鹿にされるだけである。善を勧め、悪を戒め、人間性を育む最終的手段とも言える宗教でさえ、その教えに反する者には「地獄へ落とす、地獄へ落ちる」という神の絶対的な暴力的背景があるからこそ、信仰する者はこの世の小さな暴力に頼らず神仏の教えに従うのである。
 

2009(平成21年)

1月<絶対的存在> 
人々の時運尽きて世の中が大火に焼かれる時も、我居処は安穏として、園も館も美しく、あまたの天人が常に舞い、皆が楽しく過ごしている。
                    ・・・・・・・・ここはいったい何処だろうか?

2月:(1) 人手不足と人員過剰: 今、日本では、医療介護職員の人手不足で悲鳴が上がり、外国人介護士・看護師を招いて助けを求めようとしている。外国人を招いて日本語の教育と資格取得の受験勉強をさせるには大変なお金がかかっている。そしてお金をかけた後、殆どの人は就職せずに帰国するであろうと思われる。厚生労働省の役人と厚生労働族与党議員の単なる外交遊びと思われて仕方がない。農業分野の人手不足も深刻である、農業人口の超高齢化で農家は次々と消えていく。野菜・魚介類・穀物・加工食品、などの輸入品がやすく手に入っても、安全性は不明など毎日が不安であり、輸入が止められたら食べるものが無くなる、飢えてしまう、国家的な危機が目の前に迫っているのにそれを放置して天下り先に税金を食いつぶさせる政治家と官僚。ほっといてよいのだろうか?

一方では、不景気のためいろいろな企業で減産体制がとられて人員が過剰となり、派遣労働者の契約解除、うん万人が失業! リストラは正社員にも忍び寄る、などの報道が見られる。要するに街中の企業では人員過剰で次々と人解雇していかなければならない状況らしい。多くの人が仕事を失って悲鳴を上げている。しかし療養型病院・老健施設・特別養護老人ホームなどでは職員を募集しても人が来ない、平均求人倍率23倍という。派遣労働者がなかなか正社員になれないというが、療養型病院・老健施設・特別養護老人ホームなどでケアワーカーとして働くのなら直ぐに正社員になれる。医療介護の仕事も農業もいわば誇りをもって行える典型的な職業と言えるが、なぜ失業した者がこの分野で働こうとしないのか?その理由は、その労働に対する報酬があまりにも低額耐え難い低額であるからに他ならない。国が、療養型病院・老健施設・特別養護老人ホームなどで働くケアワーカー達に不当に安い給料しか払えない仕組みを作っているからである。政府は、失業人口を農業や老人介護の職場へ向けるために税金を使う努力をしないで、要も無いダムや道路や箱物を作り、殆ど必要性のない何千という天下り先公立法人組織を作って途方もない巨額の税金を食いつぶしているではないか。こんなことを続けていると本当に国が亡びてしまう。
  不景気、それはお金が天下を廻らないから起こる。お金を廻わし、雇用を生み出すために農業や社会福祉の場に人が職を求めてくるような税金の使い方をしなければいけない。

2月(2) 渡辺喜美氏への提言:このようにして素晴らしい日本を作る渡辺喜美氏が自民党を離党した経緯は、まさに憂国の思い溢れるものであり、彼の言行一致と勇気ある行動を見て、暑熱の中において一吹きの涼風に出会ったように爽やかな気分を味わった。渡辺喜美氏は国民運動体を作って政治活動を行うと言い、その国民運動体(名称未定)設立の趣旨・目的として次の3項目を挙げていた。

①官僚主導の政治を打破し、国民の手に政治(税金)を奪還する。
② 権限、財源、人間(3ゲン)を地方に移譲し、真の地域主権を確立する。
       ①②を通じて、国民生活・地域重視の当たり前の政治を実現する。
確かに今は日本の国家組織が硬直化しており、100年に一度といわれる経済危機の中にありながら、国家官僚から地方官僚に至るまでが無用な天下り先法人を維持して巨額の税金を浪費し続けている。しかも現在の政権政党がそれを容認している状況であるから、それを改善することが急務であり、先ずは渡辺喜美氏の言う①②③から手をつけなければならない。しかし①は単に悪の是正であり、いわば当たり前のこと。②は効率の問題であり、権限の中央集中が利権に絡んできたのでそれを是正するための手段にすぎない。③は当たり前のこと。すなわち今は政・官があまりにも好ましくない状況なのでそれを是正するということが国民運動体設立の目的になっている。この目的は当たり前のことであるから官と癒着のない野党では共通する目的であり、与党内でも官と癒着していない議員は同じようなものである。日本の世の中が私利私欲優先という考えで動いている間は、政権交代してもしばらくすると政・官癒着はまた現れ再び好ましくない状況が現れる。したがって渡辺喜美党は①②③を成し遂げた後、どのような日本の国を目指すのかという大局的な国家目標を示さなくてはいけない。

遠からずして渡辺喜美氏は政党を結成して、国民を指導していく立場即ち総理大臣就任を目指していることは間違いないと私は考えている。

そこで私は、渡辺喜美氏に提言した(ヨッシークラブのメール)。

提言(1):このようにして素晴らしい日本を作る

渡辺喜美の政党は、まず大局的な政治目標として「道義国家の実現を目指す」という党是を掲げるべきである。

「道義国家の実現」により、世の中の醜い犯罪が無くなり小学生が安心して一人通学できるような、夜間に暗い道を一人で歩けるような安心して住める国家となる。

「道義国家を実現」するために何をすれば良いのか、それは教育であり、学校教育・家庭教育・職場教育・社会教育・・・と一斉にあるいは順番に、組織・グループを作りながら地道にすすめなければならない。学校でも、町内自治会でも、職場でも、「道義国家の実現を考える」組織・グループを作って、環境問題を話し合い実行し、道徳心と思いやりの心について話し合い、弱者救済の尊さと自力更生の重要性を語り、実行していく。この組織作りと運営がスムースに行われるよう呼びかけて指導していくことに、国の指導者である政治家の力量を発揮しなければならない。道義国家の実現というのは非武装中立といった甘えの精神構造や非現実的な夢物語ではない。覇権国家にとっては、相手が道義国家であろうと、ならず者国家であろうと、武力を持たない国を制圧することは容易である。この危険を防ぐことが出来ない国は国家として成り立たない。

渡辺喜美党は日本を「道義国家」へと導きその実現を成し遂げるため、先ずは現在緊急の課題である3
   官僚主導の政治」を打破し、国民の手に政治(税金)を奪還。
② 権限、財源、人間(3ゲン)を地方に移譲し、真の地域主権を確立。
 ①②を通じて、国民生活・地域重視の当たり前の政治を実現。

を行わなければならないのだ・・そして①②③成就のあと直ぐに教育問題にとりかかる、あるいは①②③と同時進行で教育問題を進めていく・・と国民に説明してほしい。 以上

 3 無限?  無限の過去から無限の未来へ続く時間と、その間に存在する一瞬の人生。無限大と無限小の宇宙空間の中に瞬間的に存在する一塊のわが身。時間と空間の無限をじーっと考えてみれば、まさに人生不可解となるが、ここで仏の教えに会うと、時間と空間を包括する無始無終の久遠本仏、お釈迦様の世界が実感できる。人間世界の常識では計り知ることのできない無限の時間と空間が、真理の世界が、浄土が、仏の掌中懐中に在り、仏の教えに従っていけばそこに到達できるということがまざまざと分かって熱烈な信仰心が湧いてくる。仏の教えに会うこと無しに時間と空間の無限なる事をじーっと考えると人生不可解で終わってしまう。

4月 もう一度、教育と医療について: 近年「医療崩壊」という現象が実感され、それ以前からは学校崩壊(教育崩壊)という現象が顕著になっていた。医療と教育は国策としても重点を置くべき二大項目であり、昔から我が国では貧しくとも子どもには良い教育をおこない、健康と成長を見守ってきた。医療は「健康」を保ち、教育は「知識と技術と人格」を育む。人々の「知識と技術と人格」が「健康」に支えられて作動した時に理想的な社会が生まれる。政府が医療や教育を軽視した今日、抑制のない経済成長は地球全体を蝕む癌のようなものとなり、環境に優しいバイオエネルギーと称して食料であるとうもろこしを燃料代わりに燃やすことを始めた。物質的には豊かになった今日の世の中で、医療と教育を軽視した結果は人心の乱れと、新生児から老人に至るまであらゆる階層における悲惨な事件の頻発、環境破壊を生み出し、人類は滅亡への道を歩んでいる。

医療崩壊の主な原因は医療費削減であり、何故医療費を削減するかといえば天下り法人の作成と運営の費用を確保するためである、と私は思う。教育崩壊の原因は複雑であるが極まるところ米国製日本国憲法に辿りつくような気がする。

5 まもなく総選挙: 選挙は国民が政治を変えることの出来る唯一の機会である。役人(=官僚=公務員)は国民を管理し、政治家は役人を管理する、国民は選挙で政治家を管理する。この三つ巴の管理体制が上手く機能して立派な社会が成り立つのである。政治家が公務員を管理出来ず、国民が政治家を管理出来ていない現状では、役人による国民管理のみが行き届いている。したがって、退職公務員に湯水のごとくお金を与えるため、どんなに高い税金を要求されても黙って支払わなければならないのである。退職公務員に只でお金を与えるだけならばこれほどまでに税金の無駄使いにはならない。只でお金を与えることは違法になるから、それを合法化するために不必要な組織(各種法人などいわゆる天下り団体)を造り、何百億円もかけて土地・建物・設備を入れ、更に毎年巨額の運営費を税金でまかなう。こうして我々が払った税金の半分以上が無駄に使われているのであろうか?。今回の補正予算として15兆円が計上されるらしいが、これも半分以上は無駄使いに思える。しかもそのお金は1所帯あたりが5060万円の税金を支払っていることになる、今は国債として郵便貯金などから借りて払い、すぐに1所帯あたり5060万円払えとは言われないので騙されやすいが我々が借金を背負わされているのである。 私の考えでは、「所得税・消費税・ガソリン税・収入印紙・酒税・輸入関税・贈与税・譲渡税・相続税・固定資産税・重量税・取得税などなど」全ての税金を半額にしても無駄使いを無くせば今よりもっと良い公共サービスができると思っている。別の言い方をすれば、今までどうりに税金を納めて無駄使いを無くせば、教育・医療・福祉などは誰もが満足するほど整えられて、老後の不安も無くなると思っている。 政権の座に長く居座ると、強力な公務員組織と戦いながら政治を行うよりも、役人と一緒になって国民を管理する方が楽であり自己保身にも有利であると思いがちになるのであろうか。今は全く政治家と役人が一緒になって国民を管理している状態になっている。これを打破するには「役人を管理しない政治家」を選挙で選ばないことが唯一の道である。今日までの選挙で「役人を管理しない政治家」を国民が選んできたわけだから、現在の税金無駄使いに基づく教育崩壊・医療崩壊・老人医療問題・福祉切捨て、などなどは自分が選んだ道と思って諦めなければいけない。しかし今後は、これでいけない、何とかしなければならないと思うならば、次の総選挙で「役人を管理する政治家」を選ばなければならない。

 

8月いよいよ総選挙: 困ったことが沢山ありすぎる。(

○ 国民年金:受給資格期間は25年?

国民年金を15年払い続けたがその後支払わずに65歳になった。25年間払い続けていないから年金はもらえないらしい。それならば15年間に収めた金額に利子を付けて返さなければならないはずだが実際はどうなのでしょうか? 15年間に収めた金額を返してもらったという話は聞いたことがない。中には23年間納めたが2年不足だから年金がもらえなかったという話も聞いた。そのお金は誰が使ってしまったのか知りたい、納めた人は是非取り戻して欲しい。

○ 責任を取らないけど責任力がある?

選挙を前に、自民党の麻生総裁は:「我が党が他の党と違うのは、我が党は責任力があることだ」と言っていた。消えた年金について歴代の厚生(労働)大臣も内閣閣僚も、厚生省(厚生労働省)から天下りした社会保険庁長官も、だれも責任をとらない・・・・それでも自民党は責任力のある政党だ、と言って選挙運動を行っている。責任力があるにも関わらず責任を取らずにやりたい放題やってきたのが60年間政権の座に座ってきた自民党ではないだろうか。また麻生総裁は「役人の無駄遣い、これは1円たりとも許しません」と言っていた。しかし現在、役人と政治家による税金の無駄使いは目に余る。自民党には責任をとらないことと「税金の無駄使い」という実績がある。

民主党は政権を取ったことがないから、責任を取る政治を行うのか、また税金の無駄使いをしない政治を行うのか、・・・政権を取ってからでなければわからない。「税金の無駄使い」といえば可愛らしいがそれは 「税金の合法的泥棒」のようなものであり、汗水たらして働いて得た給料をスリ取っているようなものだと言いたい。 民主党の原口一博氏(前衆議院議員)がテレビで「政官癒着構造の中で、責任を取らずにやりたい放題に税金を浪費してきた者たちを我々のこの潔い手で3000人くらい捕まえて牢屋へ入れてやりたい」と言っていたのが印象的であった。

○ 公務員制度・天下り

現在の公共サービスを考えると税金は本当に高すぎる、それは税金の多くが巨大に膨れ上がった公務員組織によって(誰かの懐に入ってしまうような)無駄に使われているからだ。この問題を議論する時必ず出てくるのが「公務員にだって一生懸命働いている人も沢山いるのだから、そんなに公務員を悪者にすべきではない。天下り組織にだって必要なものもあり、真面目に働いている人だって居るのだから・・・」というたぐいの表現である。これでたいていの改革は止まってしまう、既得権益を死守しようとする者が、実態を知らない一般人を煙に巻く巧みな戦術である。渡部喜美氏(元行革担当大臣)が頑張って作った公務員改革法案もこれで骨抜きになってしまった。

仕事量の何倍もの報酬を取っている公務員を辞めさせればよいのである。そうしたら税金はずいぶん安くなるだろう。仕事量対報酬額でみた公務員と民間中企業職員の差を調べてみるとよい、驚くほどの差があるはずである。公務員の仕事に対する報酬が平均的な民間レベルであるならば、警察や海上保安庁を除き、現在の公務員数を半分に減らしても現在の公共サービスを維持するのに充分であろう。公務員を減らすということは、税金で給料を支払う人を減らすのであって、組織の名称を国立の独立行政法人とかなんとか特殊法人、なんとか機構、なんとかセンターなどに変えてその職員の身分を非公務員として、給料は税金で支払っている。いままで行われてきた公務員数の削減はこの手のものが多く実際の公務員数削減ではない。このような無駄を無くせば医療・介護・社会福祉に必要な財源はいくらでも有る、消費税など上げる必要は無い。税金は有意義に使われるのならば少々高くても我慢できるし、率先して納めたい。消費税率を上げるのも良い。しかし、集めた税金が合法的にかすめとられて誰かの懐を肥やすのに使われているから我慢できない。

○ 箱ものを作ると、その後がまた大変

最近話題の「国立漫画喫茶? アニメの殿堂」、この建設費117億円といわれるが、117億円で済むものではない。当然そこは天下り先法人となり、運営費として理事長とか理事として天下ってきた官僚に高額の給与と大名旅行といわれる視察旅行費に高額退職金など毎年巨額の税金が使われるであろう。独立行政法人雇用・能力開発機構「私の仕事館」とは平成元年旧労働省から要求され平成7年の閣議で決定されたという。建設費581億円をかけて作ったが、運営に毎年20億円の赤字を税金(雇用保険料)で支払っているそうだ。その他、飛行機が集まらない空港を作り、船が集まらない港湾工事に巨額の税金を使い、要らないダムを、要らない道路を、・・・あげれば枚挙にいとまなし、どれも後の維持管理に大変なお金がかかる。 お金が動くところには常に天下りや上納金の話が見え隠れしている。

 良い医者とは? 2009-9月)                                               MRICMedical Research Information Center)のメールマガジンで配信された記事(2009-2-13)に、「明日の臨床研修制度を考えるシンポジウムで感じた2つの違和感」という項目があった。そのレポーターによれば、「いいお医者さんとは、うまい、つよい、えらい、の3つの言葉で言い表される」という東大医学部の学生による発表があったという。私は医学部に在職中、毎年の講義を始める冒頭に「良い医者とは知識と技術と人格を高度にかつバランスよく備え持った医者のことである」と23年間言い続けてきたのだが、「うまい・つよい・えらい」とは少し違うなーと思った。

10月 りんご  

子どもの頃からりんごは好きな果物のひとつであったが、いつのまにか美味しいりんごが消えてしまった。りんごが美味しくない!品種改良と称して、改良に改良を加えて(本当は改悪なのだが)果実はやたらと大きく、硬く、噛むと酸味が無く、ただの砂糖水のような味と繊維質が残るような不快感がある。しかも値段だけは高い。このようなりんごしか手に入らなくなってもう何十年も経った。従って何十年もの間、私は殆どりんごを食べてこなかった。

ところが最近になって「ジョナゴールド」とか「さんさ」という銘柄のりんごを食べてみたら、ほのかな酸味にまろやかな甘みが昔の小粒りんご「国光」や「紅玉」を思い出させてくれた。大きさも野球のボールくらいで上品な感じ、噛むと果実は口の中で崩れるように散るのがりんごの美味しさを特徴付けている。そんなわけで、近頃は毎朝りんご1個を食べている。
「きゅうり」も昔は曲がっていたのだが、直線的にまっすぐな「きゅうり」しか手に入らなくなって何十年、曲がった「きゅうり」のほうが美味しかったような気がする。

11月 事業仕分け

インターネットニュースに次のような記事が配信されていた。
まるで法廷、激しい攻防 「必要ない」「一方的だ」  
11111537分配信 産経新聞

 「国がやる必要はないのでは」「一方的な議論だ」-。予算の無駄を洗い出す「事業仕分け」が始まった11日、会場となった国立印刷局市ケ谷センターの体育館では、検察官のように厳しく「追及」する仕分け人と、事業と組織を死守したい省庁側が激しい攻防を繰り広げた。 同日午前は、文部科学省所管の独立行政法人「国立青少年教育振興機構」「教員研修センター」「国立女性教育会館」がそれぞれ行う、教員や地域の女性リーダーを対象とした宿泊研修事業が取り上げられた。文科省や独法側が事業内容を説明し、「受講者のアンケートでは8割が有意義と回答した」などと必要性を訴えた
 これに対し、枝野幸男民主党元政調会長ら与党議員と民間人の仕分け人が、次々と質問を浴びせた。「全国各地に施設を持つ必要はないのではないか」「地方自治体でも研修はできるはずだ」
 厳しい指摘に、女性教育会館の神田道子理事長が「一方的にただ質問に答えろというのは心外だ」と声を荒らげる場面もあった。約1時間のヒアリング後、仕分け人たちはそれぞれ「評価シート」に記入、「評決」が出された。

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私の意見と感想

貧困率14%というこの社会において、官僚と族議員による税金の無駄使いが如何にひどいかを長年実感してきたが、政権が変わってようやく氷山の一角に手がつけられてきた。そこで上記3法人のうち「国立女性教育会館」についてしらべてみた。

所在地は埼玉県比企郡嵐山町4万坪以上の土地に建物敷地面積4千坪、延べ床面積8500坪、研修棟管理棟のほかに付属施設として温水プール・和室茶室・ホテル並み宿泊施設・テニスコート・草原運動場・体育館・・・などなど贅沢の限りを尽くした施設である。 この建設にどれほどの税金を使い、その運営に毎年どれだけの税金を垂れ流しているかわからない。文部科学省の官僚や当法人理事長の神田道子氏は存続の必要性を声高に叫ぶが、必要の無い法人を必要だと叫ぶその態度には傲慢さを感じる。その法人の設立目的をみると「女性教育指導者その他の女性教育関係者に対する研修、女性教育に関する専門的な調査及び研究等を行うことにより、女性教育の振興を図り、もって男女共同参画社会の形成の促進に資することを目的とする。」となっている。現在のような女性の時代において、何の必要も感じない目的である。またこの法人の主要業務は、

1 女性教育指導者等に対する研修のための施設を設置すること。

2 1に掲げる施設において女性教育指導者等に対する研修を行うこと。

3 1に掲げる施設を女性教育指導者等に対する研修のための利用に供すること。

4 女性教育指導者等に対する研修に関し、指導及び助言を行うこと。

5 女性教育に関する専門的な調査及び研究を行うこと。

となっているが、これを行うために、
貧しい老人の僅かな年金から保険料を天引きしてお金を集め、戦後の復興に身を粉にして働いてきた現在の後期高齢者に医療費を負担させてまでも
「国立女性教育会館」なるものに税金を垂れ流せと言うのか!現在の後期高齢者の現役時代には当時の高齢者に対して健康保険証に全て無料を意味する寿の印鑑が押されるような社会負担を受け持ってきた人々である。保育園が不足して母親が働けないという問題は待機児童何万人・・として長い間社会問題になっている。「国立女性教育会館」などという天下り法人に税金をたれながしているから、保育園も設置できずに母親の働く機会を奪っているのではないか。仰々しく「女性教育の振興を図り、もって男女共同参画社会の形成の促進に資することを目的とする。」などと掲げているが、実際は何の役にも立っていない。全国に5000くらいあるといわれる独立行政法人・特殊法人などのうち、この種の税金食いつぶし型法人が相当多数あることは想像に難くない。単に「税金を食いつぶして一生楽に暮らそう」という輩の道具であるから、どんどん廃止に持ち込んでほしいものである。

12月:夕張市の村上智彦先生
良く知られているように、村上智彦先生は、財政破綻した夕張市でボランテイア的に医療活動を行っています。ジャーナリストの鳥越俊太郎さんが村上智彦先生にインタビューしている場面を、先日のテレビで見ることができました。その時聞いた話や私の印象です。

●最も深みのあった話:「地域医療の究極の目的は適切な死に場所を作ること、ここで安心して死ねるという場所を作るである」という一言でした。

●疾患の予防処置を行う目的:予防医療に対する役所の目的は「医療費の削減」である。その目的では人々が積極的に予防処置を受けて健康管理をしようという気にはならないことが多い。もう高齢だから病気しても仕方がない、好きなタバコや酒も無理にやめることはない、楽しく過ごして死んだ方が良いといった意識が蔓延している。
予防医療を行う本当の目的は「生き甲斐」を持たせることである。従って疾患の予防処置を普及させるには先ず高齢者の意識改革が必要である。何に生き甲斐を感じるかといえば、多くの場合は仕事をすることに生き甲斐を感じるのであるから、高齢者も仕事をしようという意識を持たなければならず、仕事を求めることが必要である。社会は仕事を与える努力をしなければならない。生き甲斐を持つ(即ち仕事をする)には健康が必要であり、そのための予防処置となれば皆積極的に参加することになる。
高齢者特定検診キャンペーンとか補助金をもらって健康診断を受けることが予防処置ではない。村上先生は、1日にコップ5杯の水を飲めば、脳梗塞を起こす頻度がずいぶん低くなる。インフルエンザや肺炎球菌のワクチンを接種するとその疾患を予防するだけでなく心筋梗塞や脳梗塞の頻度も減少する・・などといった話しもしていました。

●村上先生の印象:ひどい逆境にも関わらずほとばしる情熱を感じさせる、話している姿がとても明るく、一言も愚痴が出てこない、とても爽やかな印象でした。

2010年
(平成22年)
3月:金美齢の著書「私は、なぜ日本国民となったのか」

3月の「今日の一言」は金美齢の著書「私は、なぜ日本国民となったのか」に関する私の読後感想であり、同書の推薦であります。この本で述べられていることは、殆ど全てが私の意見と一致するので、この本を読んでくれることは私の意見を聞いてもらうことと同じだと思って「今日の一言」に取り上げてみました。

この本で述べられていることは、簡単に言うと次の2つに要約できると思います。
1)大局的には国家に関する著者の意見であると言える。しっかりした良い国家に所属す
る国民がどれほど幸せであり、その反対が如何に不幸であるかを切々と述べている。

2)個別的には「台湾」と「漢民族中国」と「日本」について述べているが、台湾につい ては悲劇が前面にでており、中国については本質の恐ろしさと危険性が強調され、日本については「現在辛うじて素晴らしさを保っているが」将来における改善の期待と凋落
の 不安に複雑な気持ちを表している。


4月:笑顔とは・・・・ラーメン魁力屋に次のような書き込みがあった。
 元手が要らない、しかも利益は莫大。
 与えても減らず、与えられた者は豊かになる。
 一瞬見せればその記憶は永遠に続く。
 どんな金持ちもこれなしでは暮らせない。
 どんな貧乏人もこれによって豊かになる。
 悲しむ者にとっては太陽、悩める者にとっては自然の解毒剤となる。
 買うことも、強要することも、借りることも、盗むことも出来ない。
 無償で与えて初めて値打ちが出る。
                    

5月:次のような文章を見つけました、納得できますね。
「貧しいことは恥ではない。だが、貧しさから脱出しようと努めな
いことは恥である」 
http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_67151_203032_5

10月11日
一筋の光
: 
 障害者団体向け割引郵便制度をめぐり、偽造証明書を発行したとして厚生労働省元局長が逮捕・起訴されて1年以上も身柄を拘束された。それが実は、大阪地検特捜部の主任検事が証拠捏造によって冤罪を作り上げる作業経過であったらしいとは、なんとも悲しい、許しがたい、恐ろしい、ぞーっとするようないやーな事件である。またそれを知りながら大阪地検特捜部長と副部長が問題を隠蔽しようとしたらしいという有様は、身の毛のよだつほど恐ろしい事件であり、世の中を闇に陥れる大罪である。もしこれが事実ならば、それは無期懲役か終身刑に匹敵する大罪である。
 しかしその中にも「世の闇を照らす一筋の光」といえるのは、若手の検事(女性検事らしい)が「これほどの罪悪を隠蔽するならば私は辞表を出しこの事を公表すると上司に詰め寄ってくれたこと、また最高検察庁が隠蔽に加担せず当時の主任検事、特捜部長、副部長の逮捕に踏み切ったことである。この一筋の光が世の隅々まで照らしてくれるよう願いたいものである。

11月1日: 民主党に絶望

長く続いた自民党政権は、政治家と官僚の癒着によって、汗水流して納めた税金を湯水の如くに無駄使いし続けた。それでも飽き足らずに次々と国債を発行してお金を使いまくり、その金額は(赤ちゃんから100才老人にいたるまで)国民1人当り700800万円くらいになっているという。それだけの金額をいずれは形を変えた税金と言う形で我々が返済しなければならない。それでもまだ足りないと言っては年金や保険料までも天下り先の増設に使いこんでしまうという、いわば国民に対する背信行為を続けてきた、と私は思っている。

 このままでは国が崩壊するという危機感が国民の間にようやく芽生えてきた結果、遂に自民党は政権の座から下ろされ民主党による政権交代が実現した。民主党は「政治を政治家の手に取り戻す脱官僚依存」と「税金のムダ遣い無くすこと」を公約にして国民の支持を得たのだ。民主党が政権を取ったら特別会計をやめ、公益法人を整理し、国のムダを省いて財政を再建する。それができなければ政権交代は必要がない、と言っていた。無駄使いの中心は「何千という天下り法人の設立と維持、天下り企業への優遇=随意契約・官製談合=、多すぎる公務員、高すぎる公務員給与などなど」である。従って民主党の公約「天下りの全廃」や「公務員制度改革」には皆大きな期待を持って、投票行動に出た。

 ところが民主党政権が最初に行ったことは、先ず天下りの斡旋であった(日本郵政株式会社の社長に元大蔵官僚の斉藤次郎氏を着任させた)。ガソリンの暫定税率を廃止するといった公約も嘘であった。その後はもう惨憺たるものである。天下り全廃、公務員の総人件費20%削減、国会議員定数の削減・・・という公約などなどまるでやる気は無いようにみえる、よくも国民を騙してくれたものだ。外交も防衛も財政も景気もほったらかしで党内抗争に明け暮れているような感じがする、最低だ! 「自民党の金権政治よさらば」と思って一生懸命に民主党を応援して政権交代をなしとげてから1年以上が過ぎた今、本当に空しい気持ちでいっぱいである。裏切り者とはこういう時に使うのだろうか、とつくづく思わされた。

「天下り」がいかに巨額の税金を無駄に使っているかと言うことはよくよく意識しなければならない。何万人もの天下り官僚が、口利きだけで高額の給与・短期就職高額退職金・在職中の大名出張などの巨額な経費、そしてまた次の天下りと渡り歩いて税金をむさぼり食らう。実はこの金額(天下り官僚がポケットに入れる金額)は無駄の全体から見ればたいしたものではない。この不当な報酬を合法的に得るためには10倍も100倍もの税金を使って不要な法人を作り維持していかなければならない。氷山の一角を見ただけでも酒類総合研究所、女性教育会館、物質・材料研究機構、国立健康・栄養研究所、労働安全衛生総合研究所、勤労者退職金共済機構、高齢・障害者雇用支援機構、農畜産業振興機構、農業生物資源研究所、農業環境技術研究所、国際農林水産業研究センター、森林総合研究所、水産総合研究センター、農畜産業振興機構などなどという、存在しなくても大勢には殆ど影響の無いような無用ともいえる独立行政法人、その他にも何をしているか分からないような公益法人とか特殊法人とかを何百何千と作っている。天下り官僚が不当に高額な報酬を合法的に得るためにこのような法人を作り、使うお金が巨額なものになって国家の運営をも危うくさせているのである。税金を湯水の如く使いまくるので、汗水流していくら税金を納めてもまだ足りない、そこで次は消費税を上げろ、いや国民福祉税だ、累進課税の率を上げろ、など天下り財源を求めて税金を要求するようになる。

岩永正明「みんなの党」に入党。

民主党に裏切られたから再び自民党へ戻る、と言うわけには決して行かない。もう全てを諦めて自分本位に生きていこうかと一瞬考えたがやはり諦めてはいけない。この日本を何とかしなければいけない、少なくともその方向性を見届けたいと、焦り・いらだつ中で見つけた一筋の光。 そこに見えた一筋の光は「みんなの党」であった。「みんなの党」になってもまた同じことだろうという声も聞かれるが、渡辺善美さんの行動と言葉はその不安を取り除いてくれるような気がする。 渡辺善美さんが自民党を辞めたのは自民党が衆議院で3分の2以上を有する絶対的に強い時であった。彼の行動は権力に媚びることの無く信念を持っている。自民党が野党になってから急にブツブツ言って辞めたのとは全く違う。渡辺善美さんは強力な政府与党に媚びることなく、除名されることも覚悟して悪い法案には1人で反対するという覚悟のある行動をとってきた。民主党があれだけ綺麗ごとを並べたが結局は官僚の尻に敷かれて自民党よりも悪い状態になってしまったのは何故か? 渡辺善美さんの言葉では、「民主党が、嘘つき政党になってしまったのは、国家国民のために自分はどうなっても良い・自己保身・私利私欲など捨てて国家を運営する、と言う覚悟が無いからだ! 覚悟が無い者には、天下りという巨大な利権を切り捨てるような大仕事は出来ない」と、渡辺善美さんが言うとうりである。 以上のようなことから、老体に鞭打って行動することにした。今後は選挙の時「みんなの党」に1票入れるだけではなく、普段から「みんなの党」に協力していこうと思って党員になりました。 12月5日(日曜日)午後2時~4時:兵庫県県民会館で渡辺喜美さんと「第1回タウンミーティングin兵庫」が開催されます。

11月、No.3 (石垣海上保安部

国家を転覆させるような軍事機密とか国の威信と国益を大きく損なうような国家機密は厳しく管理され、その漏洩は絶対に起こらぬようにしておかなければならない。もし漏洩が生じた場合は徹底した捜査と厳罰をもって対処すべきである。従って秘密にする事柄(国民にも隠しておくべきという事柄)は厳選されたものでなくてはならない。情報の漏洩によって個人が著しい損害を受ける場合もその情報は厳重に管理されなければならないが、たいした影響もない情報に何でもかんでも○秘のハンコが押されていては守秘義務を課せられた者はたまったものではない。何でもかんでも秘密扱いにしてしまうのは、むしろ国民の知る権利を侵害する犯罪でもある。

 公開すべき情報を、「これは機密条項だ」「お前たちには守秘義務がある」と言われても迷惑な話である。尖閣諸島沖で中国漁船が日本の巡視船に体当たり衝突をしてきた事件などは即日にテレビニュースで知らせるべき情報なのだが、政府・菅内閣はAPECがあるから?とか中国が機嫌を損ねるから?とか何か変な理由で事実を国民に知らせない方策を取った。その映像が1ヶ月以上も遅れてインターネットで配信されたことが何だと言うのか。守秘義務違反といっても守秘の内容を考えてみるがよい。
この映像公開で、誰かの生命が危険にさらされることも、国益が損なわれることもない。秘密にしてはならないものを秘密と指定したこと、およびその秘密を守りえなかったこと、その結果として国際的に日本の評価を下げることになったという3つの点において政府は責任を取らなければならない。その上で漏洩の個人的な?罪を問うべきである。中国漁船の不法行為を国民に隠して国民の親中国感情を維持する、中国が反発するから日本国民に事実を隠す、このようなことは日本政府のするべきことではない。
 沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船事件に関するビデオ映像がインターネット上に流出した問題で、検察当局は7日、公務員が故意に映像を流出させた疑いが強まったとみて、国家公務員法の守秘義務違反容疑で捜査に乗り出す方針を固めたという。国家の秘密漏洩という大げさな見出しでマスコミを騒がせることによって、「国民に知らせるべき情報を隠蔽した罪」・「尖閣諸島沖の中国漁船事件に対する政府の間違った対処」などを忘れさせようとしている魂胆が丸見えである。福岡高検が石垣海上保安部を中心に調べるらしいが、・・・・国境の島々を守り抜くために日夜命がけで戦っている石垣海上保安部の人々を犯罪者に仕立て上げるのはどうも気分が悪い とここまで書いたら神戸海上保安部の主任航海士が映像を流出させたと名乗りでたと言うニュースが入ってきた。
さて仙石内閣はどう扱うのか良く見ておきましょう。


12月6日
アウンサン・スーチーの言葉

ミャンマーの軍事政権によって長い間、軟禁状態に置かれていたアウンサン・スーチーさんが一時的にせよ解放された時、支持者の前で語った言葉の一部です。
ほかの人がしてくれるのを待っていては駄目です。私たちは無理やりやらせるつもりはありません。皆さんが自ら参加することで実現するのです。やらなければないことはたくさんあります。行動しなければ何も得ることはできません。国民が参加しなければ何も実現できません。愛というのはお互いに心が幸せになるようにという願いから行動することなのです。勇気というのは、気持ちを強く持って、自分が成し遂げたいことのために一生懸命行動することです。そのような勇気を私たちは持たなくてはいけません。勇気というのは拳を振り上げて勇者気取りをすることではありません。
政治は自分と関係がない」とは考えないでください。政治は自分とは関係ないと言っても、政治
向こうからかかわってきます。逃れることはできません
力というのは正しく使わなければ、危険なものです。正しく使うことで初めて価値のあるものになります。正しく使う力の効果は誰も失わせることができません。
感謝というのはとても心を豊かにします。
  アウンサン・スーチー

  平成31年○○元年(2019) 

平成30年(2018) 今日の一言(タイトル)
 ・2月 役に立つバカ
 ・4月 ご先祖様を供養する意味
 ・11月 古事記
 ・12月 玉城方丈氏から薦められた書籍

ホームページ 2007から昨年までの内容を一部保存してあります。

1、今日の一言(2007~)
2、本日の再会(2007~)・・・・・・・・・・・・・・・・クリックしてください

今日の一言(2012のタイトル
1月、橋下徹  2月「少子高齢化で年金制度が破綻する」という嘘!
3
月、領土問題  4月、個人情報公開法
8月、19世紀以前の思考で動く帝国主義国家が現存する恐怖。
9月、チベット  11月、藤村操の「巌頭之感」

今日の一言(2007のタイトル)
個人情報公開法? 宗教 私の好きな詩:西海讃 歌 初志貫徹
ベトナム! 死亡原因の南北差  
生まれた子供が死ぬから人口が増える91日)
自民党と民主党 子供の目 合法的税金泥棒
 

平成27年(2015)
1月: 我が人生哲学
2月: 弱者を作り出さない、自立する個人・地域・国家
3月:渇水対策本部??

2015年(H27) 今日の一言

 1月: 我が人生哲学

人間の世で断定出来る唯一のことは、人は死ぬということである。しかもその死が何時何処で訪れるかは全く予期し難い。人が求めているものは若い生命・地位・財産・自由・名誉などなどであろうが、その欲求を感じる生命が今日あって明日は無いことが分かれば欲求も虚しいものである。人生はただ漠然と流れているのではなく、目的をもって動いている。その目的とは、あらゆる人に本来備わっている仏性を磨き育てて、光輝く永遠の命(仏)に至らしめることである。この目的意識の無い人生は、只生まれて・幼少・青年・老年と機械的に移り墓石の下に至るという、無意味なものであり、それが10年であろうと80年であろうと永遠の仏から見れば全くおなじである。人生の営みは本来備え持っている仏性を磨き一歩でも仏に近つけようとその完成を期して不断の努力を続けるところにその尊とさがあり、喜びがあり、人生の意義がある。人は生きているのではなく、法によって生されているのである。釈迦牟尼仏は万有の真相を示され、命の不滅を実証され、永遠に安穏なる生命を獲得する道を示された。

 

2月: 弱者を作り出さない、自立する個人・地域・国家

 弱者の切捨てを無くすために、弱者を作り出さないような努力が必要。

    <日本中が弱者で満ち溢れたら誰が弱者を救済するのか>

明治以来、日本人はよく働いてきた。関東大震災で壊滅した東京も78年で更に綺麗な街となった。東京が復興して僅か15年くらいで、また焼け野原となった(大東亜戦争による)。 それから20年も経たないで東京オリンピックを開催するまでに復興した。どこかの国から大金をもらって復興したのではなく国民各人が働きまくって復興させた。その後も働き続けたので高度経済成長を成し遂げて国民総中流階級という意識が生まれ、猛烈社員という言葉ができるほど日本人は働きまくった。そうして、敗戦の傷跡から、資源の無いこの国を世界第2位の経済大国へと発展させた。

 しかし1980年代から、日本人は働きすぎだ、そんなに働くな、休暇を取れ、と外国から圧力がかかり、圧力に屈した政府は、国民に余り働かないようにしろと先導してきた。意味の無い祝祭日を乱造し「記念すべき祝祭日を忘れさせた」。国民が働かなくなれば国の力が弱くなってくるのが当然の成り行きである。政府が国民に「あまり働くな」と言い出して10年、20年経つと、一億総中流意識は消え去り、弱者切捨てだ! デフレだ! 格差社会だ、ワーキングプアだ・・と世の中が騒がしくなってきた。

 失業率何パーセント、問題は雇用、雇用だ、働く場が無い、と騒ぐけれど、日本を支えてきた中小企業では求人倍率が1を遥かに超えるほど人手不足という。大企業ではそれが0.6とか。要するに働く場はあるけれど、そこで働きたくないというだけである。食う為に一生懸命働いた者が得る報酬よりも、働かないあるいは働けない者に対する「生活保護費」のほうが遥かに高額であれば、やはり人間は働きたく無いであろう。弱者になったほうがより豊かになれるというならば、弱者は増える一方である。日本中が弱者で満ち溢れたら誰が弱者を救済するのか。働かなくても食っていける世の中、これが「職を得られない弱者」を作り出した。

 政治家は国民に「もっと働け」とは決して言わない。生活するためには「嫌な仕事でも我慢してやれ」とも言わない。次の選挙で落選しそうだから甘い「嘘」を言う。甘い「嘘」にだまされて投票すると、多くの政治家は「嘘を言えば当選する」と確信してまた嘘を言う。思ったとうりのことを正直に話してもなかなか当選しない、やはり選ぶ側の国民に問題があるのかもしれない。政治化のレベルは民衆のレベルと同じである。

 

3月:渇水対策本部??

水不足に陥ると決まって役所が立ち上げる「渇水対策本部」なる組織がある。そこではいったい何をするのかと思ったら、ただ給水制限のやり方を決めるだけで根本的な対策はまったく考えていない。
 役所の渇水対策は「どうしたら水不足にならないか」を考えるべきであり、水が潤沢にある時から「渇水対策本部」を設けて研究しておかなければならないはずである。役所が考えることは、ダムを増やせということくらいし出来ないようである。

 以前から私が考えていた渇水対策を紹介します。

●各家に貯水槽を備えることの義務化して雨水を常に蓄える、普段はそれを散水や車を洗う為に使う。

●水道の蛇口栓改造の義務化、水を流しっぱなしで作業(歯磨きや洗い物、洗面、手洗いなどなど)しない工夫をする。即ち手で蛇口をひねったり上げ下げしたりしないでも、水を出したり止め足りする作業がすぐに出来るように、足で踏むペダル方式やセンサー方式などを半ば義務化する。

●水道料金:最小限必要とされる水の量(頭割り計算)までは極めて安くして、それを超えると累進的に料金を上げる(こうしないと皆さんなかなか節約しないと思います)。

●水の再利用、風呂や炊事洗濯に使った水を能率よく安い費用で再生する装置の開発を進める。その装置を適切価格で購入できるようにして完成させた人・企業には報奨金を出して販売に大しては公的に援助する。

などであります。

使うことで初めて価値のあるものになります。

今日の一言(2010のタイトル
金美齢の著書「私は、なぜ日本国民となったのか」
笑顔とは・・
「貧しいことは恥ではない。だが、貧しさから脱出しようと努めないことは恥である」
一筋の光
  民主党に絶望、  石垣海上保安部、
アウンサン・スーチーの言葉

2018平成30年、今日の一言

2月 役に立つバカ

 レーニン、スターリンは、ソ連を賛美する西側の左翼、ソ連観光に来る西側の人間を「役立つバカ」と言っていたらしい。日本人であり日本政府の保護のもとで平和な生活を享受していながら、敢えて反日発現・反日行動を繰り返す人が多い、ネット上では「パヨク」と呼ばれている人々こそ韓国や中国ではまさに「役に立つバカ」と思って、彼らを利用しもて遊んでいる。

 反日的な国々からは利用され弄ばれながら、国内においては自分の同胞である日本人を貶める活動に励む、一体彼らは何を生き甲斐にしているのだろう。

国連を舞台に、実態からかけ離れた慰安婦像を世界にばらまいたのも、彼ら日本人活動家だった。何ということをしてくれたのか。韓国や中国にとって「役に立つバカ」である日本人は日本にとって「極めて有害なバカ」であるのかもしれない。

中国は「チベットは中国の一部の自治区である」と主張しているが、もともとチベットはチベット仏教や独自の伝統文化がある平和な独立国でした。1950年代から始まった中国による侵略で、全く戦力を保持しないチベットは、まるで蟻を踏み潰すように蹴散らさ、以降一説では120万人以上が虐殺されたとも言われている。これに対して世界は中国に抗議していない。「焼身自殺」と聞くだけで大変に痛ましいが、武力で対抗できないチベット人には最後の手段として平和裡の抗議をしている。しかし中国は逆にこうした自殺者を「テロリスト的で洗脳された精神異常者」と世界に喧伝している。1950年以前には2500あったチベット仏教寺院は今では70に激減し、自給自足で平和的な遊牧民生活が今や国営住宅に無理やり押し詰められ、さらにチベット語は禁止で北京語を強要され拷問され、文化的に抹殺されている現状を日本のマスコミはなぜか全く報じることなく日本政府の批判を世界中にばら撒いている。


4 ご先祖様を供養する意味
供養:相手に対する尊敬の念から香華、燈明、飲食物などを心から捧げて感謝すること。

今の自分は両親から生まれた、両親の親は祖父母は4人。祖父母の親即ち自分の曽祖父母は8人。自分を1として2は父母、3は祖父母、4は曽祖父母、567と進んで10番目の祖先は1024人になります。そうすると自分の親2+祖父母4+曽祖父母8・・+163264+128+256+512+10242046、即ち10代さかのぼっただけで2000人以上のご先祖様が居ることになります。10代と言うと200年から300年ですから、そんなに遠い昔ではありません。2046人というのは1023組の夫婦ですが、各時代に誰と結婚しようか、昔ならば誰に嫁がせようかと迷って決まった夫婦です。この2046人のうち一人だけが入れ替わっても、今の自分は生まれていないのです、今の自分はこの世に現れていないのです。このように考えれば、自分が生まれてきたのには、奇蹟とも言えるほど縁が作用した結果であるということが分かります。そうして受け難い人身を受け、逢い難い仏法に出遭えたのです。もし両親が別の人と結婚していたら自分の存在は無い、過去2300年に出来た1023組のペアが一人りでも変わっていたら、今の自分は無い。自分が生まれる為によくもまー、それぞれのペアが一致したものだ、何かのご縁でそうなったのだろう。そう考えると「じいちゃんばあちゃん、ひいじいちゃんひいばあちゃん、一緒になってくれて有難う」・「ご先祖の皆さんそれぞれ一緒になって子供を作り育ててくれて有難う」という気持ちが涌いてきます。ここで不思議な「縁」の力を感じ、ご先祖様に恩を感じる、そしてご恩返しのためにご先祖様を供養するのです。

人身を受けた=人間として生まれた、これが何故そんなにありがたいことなのか? 
それは仏の教えに出会うチャンスがあるからです。

人身受け難し、今已に受く、仏法聞き難し、今已に聞く、この身今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってか、この身を度せん。 華厳経

 

11月 古事記:

 先日、旧知の玉城方丈さんから「新訳古事記伝全7巻 阿部國治、栗山要編集、致知出版社」の贈り物をいただいた。 読書は苦手の方だが、玉城兄が「必ずや感激するはず」といってわざわざ高価な贈り物をくれたので、読んでみるとこれは素晴らしい2~3週間で7巻全部を読んでしまった。

 悪い意味での近代化が進んだ今の日本の世の中にも静かに息づいている「良い意味での日本人の心」というものの原点が古事記の中にあり、その心は古事記の言い伝えによって、連綿と今日まで続いているように感じられた。

 古事記の中のお話として、因幡の白兎、大国様、八岐大蛇などは幼いころかに聞かされていたが、そこに現れる事象に込められている深い意味を、著者の阿部先生が詳しく解説されている。 この解説がまた素晴らしい。

 伊勢神宮に祭られているアマテラスオオミカミ(天照大神)とはどのような神様か、 よく見かける「高御産巣日神社」の高御産巣日とはどのような神様なのか、また三種の神器(八咫鏡・八尺勾玉・草薙の剣)の由来とその意味するもの、などなど今までぼんやりと頭の中にあったことがハッキリと筋立てて分かるようになり、読後の爽快感はひとしおであった。皆様にも是非読んでいただきたいものである。玉城方丈さんに深甚感謝。

八咫鏡:ヤタノカガミ
八尺勾玉:ヤサカノマガタマ
草薙の剣:クサナギノツルギ

 

12月:推薦された書籍を読んだ感想(玉城方丈氏からの推薦書物)

1115日、旧知の友人である玉城方丈<Tamaki Masatake>氏(糸満市出身・琉大卒)のFBに次のような投稿がありました。  また、小室直樹の話で申し訳ないのですが。私が小室氏の著作を初めて読んだのは、高校生の時の「新戦争論~”平和主義者”が戦争を起こす」でした。この本は若者が陥りがちな理想論的な平和主義者になりかけた私の蒙を啓かせてくれた歴史的名著と言えます。その後絶版になり再販を待ち望んでいましたが、なかなか再販されず今年の1月にタイトルを「国民のための戦争と平和」に変えてやっと再販されました。 当時特に衝撃的だったのは、「戦争は個人の心の内の問題ではない」として、先の大戦で政府も軍部も国民も誰も戦争は望んでいないにも関わらず戦争へと突き進まざるを得なかったという記述でした。これは現在、政府も厚労省も国民も誰も望んでいないにも関わらず破綻の危機に突き進んでいる「国民保険」という制度の現状を見れば十分に納得できるものだと思います。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/61CBNRJwOdL._SX346_BO1,204,203,200_.jpg

そこで私もこの本を読んでみると、まさに「迷える者に方向性を示す」ものと思われた。戦前の日本がアメリカからの強烈な圧力によって窮地に陥れられていた時、戦争とは何か、双方の戦闘能力とその持続能力はどうなっているか、勝ったらどうする・負けたらどうする・途中で講和するには、などの分析よりも、神州不滅の信仰・念力によって戦争を起こしたような気がします。今の日本は憲法9条の信仰・念力を振りかざして、益々戦争に近づいている。憲法9条教という新興宗教が戦争を招く非常に危険な宗教であることを、実に理解しやすく世界史の例を引きながら述べている。人にも薦めたい書物であった。

平成25年(2013
7月:自公連立の解消は近い? 8月:偽善=悪
12月:特定秘密保護法について

9月、今日の一言:チベット

どのメデイアも同じ映像同じ表現で同じことを繰り返し報道する。尼崎のコンクリート詰め猟奇殺人事件については毎日毎日うんざりするほど繰り返されているが、

何十年にも渡って続けられている中国人による­チベット人大量虐殺をなぜ日本のメディアはもっと報道しないのだろうか。

今月(11月)中国共産党大会の最中にも、民族抹殺の憂き目に会っているチベット人が拷問と虐殺の恐怖に怯えながらデモを行っている。戦争中でもないこの近代の世の中で拷問と虐殺による民族抹殺が行われているのに・・・わが国のマスメデイアはこれでよいのか?

平成28年(2016)は投稿無し

金言: 天下は悪に亡びずして愚に亡ぶ

2016年(H28) 今日の一言

平成28年度は1回も投稿しませんでした。

今日の一言(2011のタイトル
1月:組織の自浄能力(琉球大学) 2月:普天間基地移設問題:
5
月:「オーランチオキトリウム」
 6月:ああ!琉球大学
9月:どこかで聞いた教訓的な話 10月:TPP論議

今日の一言(2009のタイトル
絶対的存在 人手不足と人員過剰 
渡辺喜美氏への提言 無限?
もう一度、教育と医療について
まもなく総選挙 いよいよ総選挙:
良い医者とは? りんご 事業仕分け
夕張市の村上智彦先生












1月、今日の一言: 橋下徹(はしもと とおる)
60年間にわたり、政官癒着で国民の税金を貪り食いまくった自民党官僚政権を、前回の総選挙でようやく変えることが出来た。脱官僚依存・天下り全廃と税金のムダ遣いの見直しなどなどを公約として民主党による政権交代が実現したのだが、1~2年で「嘘つき民主党」の実態は明らかになり、自民党時代よりもひどい政官癒着、外交・防衛・教育・経済の無策、危機管理不能などなどの実態を見せ付けられた。

もはや日本の崩壊は免れないのだろうか? まだあきらめずに最後の期待を「みんなの党」にかけて応援したいと思っているが、もし次期衆議院選挙の結果が期待どうりで「みんなの党」が政治を動かせる立場になったとしても、「言うこと」と「成すこと」が民主党と同じようになってしまうのではないかと心配しないでもない。勿論実際にどうするかを見てからでなければ言えないのだが民主党にだまされたトラウマは重く、不安は続く。この暗い気持ちを一挙に吹き飛ばして明るい希望を持たせてくれたのが橋下徹の言行一致と仕事の速さである。橋下徹は大阪府知事になり、公約したとうりに政治を行ったので、最後まで高い支持率を維持した。そして大阪市長になっても公約したとうりにどんどん仕事を進めている。見事な指導力・実行力・説得力である。汚れた空気と水のなかで、一吹きの清らかな風・清らかな水の流れに出くわしたような気がする。ちなみに橋下演説を聴いている限り橋本氏の考えは私の考えとまったく同じである。

2月:少子高齢化で年金制度が破綻する、という「嘘」
年金制度が破綻しそうだ、少子高齢化で人口が減少するのでやむをえない?人口が増え続けないと今の制度は維持できない?、など嘘ばかり言うな!

団塊の世代前後の人たちは、若いときから働きまくって・税金を納め、年金を積み立てまくって経済成長を成し遂げた。彼らが年金として積み立ててきた溢れるばかりのお金を官僚たちが横取りして貪り食うように、数え切れないほどの「天下り機関」を設立しながら浪費を続けているから年金制度が破綻しそうなのである。要するに「年金として積み立ててきたお金」を「年金以外のことに使ってしまった」のである。「天下り機関」の大半は無くても国民生活にほとんど影響は無い。年金の掛け金は年金として配るべきである。

人口が増え続ければ年金や他の社会福祉が充実するとでも言うのか、とんでもない嘘である。この小さな国土にこれ以上人口を増やして大丈夫なのか?今、人間の世の中で最大の問題は人口過剰なのである。人口爆発という言葉がある。人口が増えて地球が養える人口の限度を超えそうになっていることを意味している。その時代に降り注ぐ太陽エネルギーを利用して生活できる地球上の人口は510億人が限度であるらしい。現在70億人になる人口を養っているのは過去何十万年にもわたって地球上に降り注いだ太陽エネルギーが蓄えた化石燃料のおかげである。「化石燃料の使いすぎ」と「過剰人口」が地球環境を脅かしているというのに、「現在の年金制度を維持するためには人口が増えなければどうしようもない」などとまことしやかに言う御用学者?専門家?、それをマスコミがそのまま宣伝している。人類の平和と安定を保つためには、今や人口を減らさなければならないのである。

以前には生産年齢人口20名にたいして扶養人口は1人くらいだったのかもしれない。これからは「生産年齢人口」対「扶養人口」の比がどんどん1に近づくという。もし「生産年齢人口」が「扶養人口」を支えていくのならば、1人で何人も支えられるような有能な人材を育てていかなければならない。
昔は一人の農民が数人分の食料しか生産できなかったから生産年齢人口の50%くらいが農民でなければならなかった。今では一人の農民が50人分くらいの食料を生産できるから、いわゆる農業人口は現在2%くらいになっている(2010年の農林業センサスによると、日本の農業就業人口は260万人)。働く意欲と能力の無い生産年齢人口がいくら増えても税収にはならず逆に生活保護費が膨れるだけである。1人で多くの人を支えられる若者を作り出すことが大切である。すなわち人口を増やすよりは教育により優秀な人材を育成することこそ今の日本がとるべき道である。

「生産年齢人口」とは年齢人口のうち労働力の中核をなす15以上65未満の人口層、これに対し15歳未満の年少人口と,65歳以上の老年人口を合わせたものを「被扶養人口」と言うらしい。年齢のみが扶養・被扶養を決めるといった「いい加減な区分」を用いて「いい加減で有害な試算結果」を世の中に撒き散らす悪質官僚・無能政治家・迎合マスコミ、を正さなければならない。

15以上65未満の人口層が生産年齢でその他が扶養人口層というが、「15歳から20歳までの年齢層による生産量・税金の支払い額」と「65歳から70歳までの年齢層による生産量・税金の額」を比べてみるが良い。日本の農業生産は、役所が言う「被扶養人口」によって成り立っている。役所が「被扶養人口=非生産人口」と定義した65歳以上の人に養ってもらいながら、65歳以上を被扶養者=非生産者呼ばわりするのは許せない!!(2010年の農林業センサスによると、農業従事者の平均年齢は65.8歳、今年2012年はおそらく66歳をこえているであろう)。
積み立てた年金を天下り費用に使ってしまったので、それを補うという理由でさらに税金を取り立てようとしているのが官僚の考えであり、それを法律で決めようとしているのが民主党である。

日本は簡単に利用できる資源の少ない国であるから人々は知恵を絞り働きまくって経済力をつけてきたのだが、その経済力の恩恵を受けて育った次の世代(生まれながらに豊かさを享受してきた世代)は努力せずとも豊かさが得られるものと思いこむようになってきた。1980年代になると日本人は働きすぎだ、もっと休め、働くな、休日を増やせ、という風潮が支配的となった。勤勉さで有名な日本人は怠け者への道を歩み始めた。仕事はいくらでもあるのだが日本人が働かないので外国人労働者を使うようになってきた。仕事が無いといって生活保護を受けたり、失業保険をもらったりするが、本当に仕事がないのだろうか。生活保護とは、働きたくても心身の都合で働けない者に限って受給できるものである。

 介護・農業・漁業・保育など人手不足の領域で仕事はいくらでもあるのだが働きたくないだけである。働かなければ食っていけないので、自分が好きな仕事が無いとき、生きるためにはいやな仕事でも引き受けて働きながら好きな仕事を得るチャンスをうかがうという気構えが無い。世の中へ出れば厳しい競走の中で生きていかなければならないのだが、学校教育は競争を嫌って運動会でも一等賞なしという馬鹿な教育を続けてきた慣れの果てが今の世の中である。

 このような馬鹿げた教育を改め、無制限に増殖してきた官僚公務員組織を叩きなおしてくれる政治家は誰か、今のところは「大阪市長の橋下徹」と「みんなの党代表の渡辺義美」に期待している。しかし民主党にだまされたトラウマは計り知れなく大きいので、「橋下よ、渡辺よ、お前もか!」となるのではないかと一抹の不安はぬぐいきれない。

3月  領土問題

領土問題とは我が国の領土を外国が占拠しているか占拠しようとしている問題であり、国の主権・尊厳に係わる大変な問題である。有史以来この問題は武力の強いほうが弱い国の領土を蝕むという形で進んできた。現在でもなお、「法と正義」に基づいて判断されずに、昔と同様な武力の強弱によって事が運んでいる場合が多い。このような状況の中で奪われた領土を平和的に返還させるにはそれなりの知恵を絞らなければならない。現在の日本では、北方領土(国後・択捉・歯舞・色丹の諸島)と竹島が武力によって占領され、尖閣諸島が占領されようとしている。さらに、韓国では長崎県の対馬も占領しようと叫ぶグループも存在する。また中国は沖縄・南西諸島まで奪い取ろうという動きが感じられる。領土に関する学校教育を充実させ、入学試験の必出問題とするべきである。

 1)北方領土: 国後・択捉・歯舞・色丹、千島列島、樺太に関する帰属と国境制定は日露がどのような平和的交渉で決めてきたかそれをまず日本国民がよく理解したうえでロシア国民にも説明する。そうして国後・択捉・歯舞・色丹が日本固有の領土であり、千島列島全域が日露の平和的交渉において決まった日本の正当な領土であることをロシア国民に理解させることが先決である。すなわち、国後・択捉・歯舞・色丹、は「日本固有の領土」であり、千島は1875年の樺太千島交換条約(日露国境の再編)による「正当な日本領土」であることが分かる。これが平和的に決めた歴史的な国境である。

1952年のサン・フランシスコ平和条約で我が国は、樺太千島交換条約に基づいて取得した千島列島に対する領土権を放棄しているが、わが国が放棄した千島列島の帰属はどこの国か決めていない。

これらの奪われた領土を平和的に返還させる外交交渉では「常に「法と正義に基づいて考えましょう」という言葉から会議に入り、歴史的な経緯を論じるべきである。また「法と正義に基づいた考え」を一般国民が理解する必要もある。

正当な日本領土である千島列島と日本固有の領土である国後・択捉・歯舞・色丹がどのようにしてロシアに占拠されたのか、これを分かりやすいパンフレットに作成して、日本人全員と来日した外国人、特にロシア人、(観光客・招待客・ビジネスマン・学術交流客、留学生などあらゆる来訪者)に配布する。日露接触のあらゆる場面で「法と正義に基づいて考えましょう」という言葉から始めてやんわりと詰め寄る方法を政府関係者だけでなく全日本国民に意識させることも政府の役割である。

パンフレットの内容は、平和的に決定した日露国境の歴史的経緯のほか、1)日露不可侵条約を無視して戦争を仕掛けて、千島・と南樺太を奪い取ったこと。 2)日本固有の領土である国後・択捉・歯舞・色丹のほかにもいくつかの島は、戦争が終わった1945815日以後にソ連が占領したこと、だから戦争で奪い取ったのではなく戦争も無いのに一方的に奪い取ったものであること。3)さらに、日露不可侵条約を破って仕掛けてきた戦争では満州に居た60万人以上の日本人を拉致してシベリアで重労働に従事させ5万人以上をしに追いやったこと。などを詳しく分かりやすく説明したものとする。

ロシアが経済的に困っているときに支援をちらつかせて北方領土の返還を求めるなどという正義とは関係の無い事柄に期待を寄せることは愚かな考えである。歯舞・色丹の先行変換は良いがそれで領土問題は決着という解決法は絶対に許されない。あくまでも2島変換は第一段階としてのみ考えることができる。

 武力によって占領されている領土であり近づけば拿捕され・銃撃射殺されるが対抗できる武力を持たない国家は泣き寝入りするだけである。外交交渉を無視されるならば取り返す方法は相手よりも強力な武力を持って取り返すより他に道は無いのかもしれない。それには数十年単位の臥薪嘗胆を要し、成功したとしてもおびただしい数の人名が失われる覚悟が必要である。

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2)尖閣諸島:これは大変なことである、昔から日本人漁民か住みついて活動していた島であり、沖縄県に所属していたため第2時世界大戦後はしばらくアメリカに占領されていた。しかし1970年前後に尖閣諸島周辺の地下資源に期待がかかると、武力をもった中国が1971年に突如として「中国の領土である」と言い出した。昔も今も日本国の領土であり一度も中国に所属したことの無い地域を武力で占領しようとしているのだから、これは領土問題と言うよりも国防上の問題である。

20世紀に入り植民地時代はすでに終わった、その20世紀後半になって中国はチベットという純粋な伝統と文化・言語・民族の国を武力で占領し、遂に自国領土と宣言するに至った、そのために虐殺されたチベット人の数はおびただしい数にのぼる。続いて尖閣諸島、南沙諸島、までも自国領土と言い出し、いまや沖縄の領有権をも主張する動きを見せている。こうなるともはや外交交渉というのはきわめて困難であり、国防対策に走らなければならない。いまや日本中に工作員が闊歩して「反日的日本人」の育成が進んでおり、国防論議すらうまく出来ないので、自主防衛などとても望めない。したがってアメリカ頼みに徹しアメリカに逆らうなど到底不可能なことになっている。尖閣諸島問題は日本国民に自主自立精神があるかどうかの問題であり、アメリカの属国として保護してもらい経済的豊かさだけを求める道を選ぶのかどうかという根の深い問題を含んでいる。

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3)竹島: この問題は少々複雑な様子である。あまり詳しい資料を探し当てられないのだが、どうも江戸時代から問題になっており、問題未解決のまま時が過ぎてきた。昔から両国が所有権を主張してきた2国間領土問題といえるが、私の乏しい文献検索からは日本の主張に利があると思われる。

しかし現在、所有権あるいは共有権などをどのようにして決めるかなどの話し合いはまったく行われず軍事力のみが物事を決めている。韓国・朝鮮は軍隊を持ち、日本は軍隊を持たないので竹島は韓国によって軍事的に占領され、武力で対処されると日本人はどうすることもできない。上陸も出来ず周辺での漁業も出来ない。軍事力によって国の主権が侵されているのだが、日本政府は怠慢で防衛もせず、国連に訴え出ることもしない。国際司法裁判所で判断してもらおうと提案しても、国際司法裁判所は両国が提訴しないと受け付けないそうである。韓国は国際司法裁判所の判断を嫌い、軍事力によって竹島を占領している。日本は軍隊を持たないので、軍事的に威圧すれば決して逆らわずに外国の思いのままにされる状態である。双方の言い分を国際司法裁判所の判断に任せようと提案しても、韓国は軍事力を背景に「うるさい!竹島は独島という名前の韓国の領土だ!」と言って突き放つ。このまま放置してよいのか、良いはずがない。文献的な歴史的経緯をよく調べてからまた意見を述べてみたいと思う。

2008年に草思社から出版された「竹島密約」という本を読んでもその複雑さが分かる。そこには「1965年に調印された日韓基本条約でも竹島問題は決着がつかず、次のような密約が結ばれた」と記している。

竹島・独島問題は解決せざるを持って解決したとみなす。したがって条約では触れない。

イ)両国とも自国の領土であると主張することを認め同時にそれに反論することに異論はない。

ロ)しかし、将来、漁業区域を設定する場合、双方とも竹島・独島を自国領として線引きし、重なった部分は共同水域とする。

ハ)韓国は現状を維持し、警備員の増強や施設の新設、増設を行わない。

ニ)この合意は以後も引き継いでいく。

4月: 個人情報公開法

「乳幼児虐待・DV・高齢者失踪・テロ活動、有力者の脱税・汚職、その他多くの犯罪行為」は個人情報保護法によってさらに拡大し頻発する。訪問販売・ダイレクトメール・売り込みの電話など執拗かつ恐喝的な行為を取り締まらないので、人々は氏名・年齢・住所・電話番号・職種などなどを隠してしまう。多くの家が住所と住人を示した表札を出さないので人の家を探すのは大変なことである。だから連絡は疎になり、人が何をしているか分からない。連絡しようと思って職場の人に誰々さんの家の電話番号を教えてくださいなどと言っても決して教えてくれない。職場の職員録からも住所や電話番号は消えてしまったので、さて年賀状を書こうと思っても住所を調べるのに一苦労である。何と不便なことだろうか。周囲の人がどういう人か分からずに住んでいるのも何と不気味なことか。

いっそのこと個人情報保護法を廃止して、個人情報公開法を制定してはどうか。個人情報公開法ではすべての人は住居の入り口に住所氏名を明記した表札を出し、・・・基本的には自分がどこの誰であるか分かりやすいようにする法律をつくるべきである。

そのかわりにもしその情報を利用してストーカーをしたり、断わっても執拗にダイレクトメールを送りつけたり、マンションなどしつこい売り込みの電話勧誘をしたり、脅迫したり・・・ようするに迷惑行為を行った時は厳罰を科するようにするべきである。いろいろな組織・グループ、隣近所などで安心して名簿を作り配布できるような世の中にしたいものである。

Wikipedia

チベット人大虐殺問題 に関する国際機関による調査と主張

チベット亡命政府は、中華人民共和国が建国した1949に同時に開始されたチベット併合政策以来、チベット侵攻カム反乱などの「鎮圧」、また「民主改革」の名の下の弾圧、中国全土で5000万人が犠牲になったといわれる大躍進政策、また文化大革命などを経て、1979頃までにチベット全域で中華人民共和国によるチベット人大虐殺が行われたとしている[1]。なお、2000年代に入ってからも様々な弾圧が続いている。

【文献1】 1949年~1979年の虐殺 

チベット亡命政権 情報・国際関係省著「チベット入門」より抜粋

中国のある情報筋によると、人民解放軍は1950107日~同月25日にかけて、東チベット各地で5,700人以上のチベット「兵」を東チベットで「根絶」し、2,000人以上を投獄したという。殺戮・殺人、拷問、僧院への砲撃、遊牧テントの一掃といった話は、数多く記録に残されている。その種の報告は、国際法律家委員会がまとめた、チベットに関する1960年のリポートにも多数記載されている。

中国軍の機密資料によれば、人民解放軍は1952年~1958年にかけて、アムドのカンロ[甘南]地区で996件の反乱を鎮圧し、10,000人以上のチベット人を殺害したという。またアムドのゴロク[果洛]地区では、1956年に130,000あった人口が、1963年にはおよそ60,000までに減ったという。

パンチェン・ラマ10世は、この地域についてかつて次のように語ったことがある。

「青海省での残虐行為をすべて取り収めた映画があれば、観客は大きな衝撃を受けるに違いない。ゴロク地区では多くの人たちが殺され、死体は丘の上から濠にむけて転げ落とされた。解放軍兵士たちは遺族に向かって、反乱が一掃されたのだからお祝いをしろと言った。あるいはむりやり死体の上で躍らせ、最後には機関銃を掃射した。」

「アムドとカムにおいて、人々は筆舌に尽くしがたいほどの残酷な仕打ちを受けた。10人ずつ、あるいは20人ずつに分けて銃殺されることもあった。(中略)こうした行為は、人々の心に深い傷を残している。」 1959310日にラサで発生した民族蜂起が弾圧された際には、3日間で10,00015,000人のチベット人が殺された。他方、人民解放軍チベット軍区政治委員会による1960年の秘密文書によれば、19593月~196010月までの間に、中央チベットだけで87,000人のチベット人が殺されている。

19501976の間の犠牲者数は、次のように推定されている[6][3]

以上、合計1207387[3]ここには1980年代以降の犠牲者数は含まれない。

1980年から今日までの30年間にも、焼身自殺などのニュースが多く見られ、かなりひどいことが行われてきたと思われるまたウイグル問題も見過ごせない状況だと思われる。

このように40年間で領土を2倍に広げ、今は海洋に武力進出して領海・専管水域をやたらと広げていく方針を採っている

8月:「19世紀以前の思考で動く帝国主義国家」が現存する恐怖。

領土問題に振り回される日本の現状を憂いながら、ふと目に留まったのが中国の領土変遷図である。中国はこのようにして武力で領土を拡大し続け、反抗する者は容赦なく虐殺するといった方針であたってきた。チベット人は、あの広大な山岳地帯に平和な日々を送っていたが、人口600万人のうち120万人以上が中国によって虐殺されるといった悲惨な運命をたどり、中国はチベットを占領し、それを正当化してきたのである。その話は、私が幼い頃から断片的に聞いていたが、1970年ころからはベトナム沖の西沙諸島、はるか南のフィリピン沖にある南沙諸島なども中国固有の領土であるといって武力侵攻を始めており再び国際的な注目を浴びるようになった。この勢いで尖閣諸島はもとより沖縄県全体が中国の領土であると言い始めている。いずれは武力をもって占領しに来るであろう。  そこで、もっとも悲劇的な経過をとったチベット問題についてWikipediaを引いてみると本当に残酷非道な記録が次々と見えてきた。チベット人の悲しい現実であり、ぼんやりしていれば明日はわが身の運命となる。ぼんやりして入られない!写真の下にWikipediaの記事をコピーして紹介したい。 パンチェン・ラマ10世の話は心に突き刺さるものがある。