このページは、「霊鷲山 虚空庵」の開設から、その経過をお知らせするものです。

虚空庵の四季へのリンク

平成30年(2018)は年末に1年間を通じた虚空庵の様子を紹介します。

7月になると緑も濃くなり、芝生も、プラタナスも、山桜も、オリーブも今年植えたばかりなので
まだ少し物足りない気がします。

翌年、平成295月までに、ようやく看板が出来、体裁がととのいました。

虚空庵建設経過

平成28年4月、猪名川町木津字東山の荒地を整備して、植樹を開始。

写真左は霊鷲山のシンボル鷲型の岩(山頂)、下は山頂近くの拝所。平成10年(1998)1月31日に参詣しました。
同行してくれた池間正英先生の撮影です。

霊鷲山(リョウジュセン)とは、インド東北部にある小高い山で、山頂が鷲の姿に見えることから、鷲の峰という意味で、霊鷲山と呼ばれています。お釈迦様が法華経や無量義経の他にも多くの説法をされた場所として有名な所です。クシナガラへ向うお釈迦様の最後の旅も、ここから出発されました。お釈迦様はクシナガラに到着されてから、涅槃経を説かれてご入滅されたのです。 

虚空庵の開設について:

我家から車で20分くらいの山中に小さな庵を設けました。退職後はここが私の活動場所になります。お釈迦様は50年間にわたって多くの説法を行いましたが、人間の世界と仏の世界という絶対的な違いを弟子達に解らせるため始めのうちは生活の規範や善悪の結末、極楽・地獄など人間世界で観るものとして表現しながら、徐々に人々を仏の道へ導いていきました。そして人々の心構えもしっかりして信じる力がついてきた時、初めて天地万物の実態を妙法蓮華経(法華経)によって証かされたのです。説法の場所は霊鷲山(リョウジュセン)という山の上でした。法華経の教えは28章にまとめられていますが、第11章から22章の説法は聴衆の弟子達を虚空に引き上げて行われ、虚空会と言われます。虚空会の名に因んで、この庵に「霊鷲山 虚空庵」という名前を付けました。退職後はここで法華経を読み書き唱え説くように心がけ、 仏の教えを学び実践したいと思います。

2018年8月;庵の壁をヘデラとゴーヤが被いはじめました。

庵の中のお仏壇

虚空庵の庭に2つの畝を作り、ジャガイモ・トマト・オクラを植えました。
ジャガイモは梅雨前に収穫ということで、6月3日に掘ってみると、沢山出来ていました.。

丹 波 路 に 庵 む す び て 鷲 の や ま   法 輪 の ね (声) に 心 や す ら ぐ

2018年11月3日:琉大関係最初の虚空庵訪問者、本間裕朗兄(2期生)

8月の虚空庵: 鈴なりの柿と蝉の抜け殻

庵の庭を鑑賞し、そのあとで近くのスナック喫茶へ行って雑談に花を咲かせました。

10月1日:柿の実が色づき始めて、虚空庵にも秋の気配が訪れて居ます。 ピーナッツはカラスがほじくって中身だけ食べ
ては殻を芝生の上に散乱させていきます。少し早いけど1株だけ収穫してみたら、こんなに沢山取れました。